■昭和時代(戦前)
■昭和時代■
(その2)
1.昭和初期の外交 2.軍部の台頭 3.政党政治の崩壊
4.思想・言論の統制 5.経済の回復 6.軍部支配の確立
7.ファシズムの台頭 8.日中戦争 9.第二次世界大戦
10.太平洋戦争 11.占領下の改革 12.日本国憲法の制定
13.占領下の政治 14.朝鮮戦争と講和 15.55年体制(オイル=ショックまで)
16.経済復興から高度経済成長へ 17.55年体制(〜崩壊まで) 18.現代の政治(55年体制崩壊以後)



 ■1.昭和初期の外交


1.協調外交の展開と強硬外交への転換
 (1) 協調外交を展開する理由
  A.国際的孤立化の危機を打開する必要…日本は国際金融・市場・資源をアメリカ・イギリスに依存
   (a) 日本は1920年代に約16億円の外債をアメリカ・イギリスで募集(大戦後再び債務国に転落)
   (b) 生糸・綿製品をアメリカ・イギリスの勢力範囲に輸出、石油・綿花・鉄・羊毛などの工業原料を輸入
  B.八・八艦隊建造など軍拡に国家財政は破綻必至
   (a) 1920(T9)年以降、日本は慢性的な不況(1930年代半ばまで脱出できず)
   (b) 国家財政に占める軍事費は増大一途
 (2) 高橋是清内閣(1921(T10).11〜1922(T11).6)…以後、協調外交政策を展開
  A.ワシントン会議に参加(1921(T10).12〜1922(T11).2)
   (a) 四カ国条約(1921(T10).12)…アメリカ・イギリス・フランス・日本
    ・太平洋の島々の領土保全と安全保障を約す → 日英同盟(1902(M35))廃止
   (b) 九カ国条約(1922(T11).2)…上記4カ国とイタリア・ベルギー・オランダ・ポルトガル、中国も参加
    ・主な内容
      1) 中国の主権と領土保全を尊重
      2) 各国の商工業の中国に対する機会均等と中国の門戸開放を規定
    ・石井=ランシング協定の廃止
   (c) ワシントン海軍軍縮条約(1922(T11).2)…アメリカ・イギリス・日本・フランス・イタリア
      1) 主力艦の保有量をアメリカ:イギリス:日本:フランス:イタリア=5:5:3:1.67:1.67と規定
      ・海軍軍令部・憲政会は対米7割を主張  → 海軍などには不満が残る(今後も)
      ・補助艦(1隻1万トン以下)については保有量を制限しない →
         → 日本は規定内で優秀な補助艦を建造 → ロンドン海軍軍縮条約(1930(S5))で規制
      2) 今後10年間主力艦を建造しない → 日本の八・八艦隊計画は挫折
      3) 太平洋の島の軍事施設を現状維持
   (d) 日本、シベリアからの撤兵を宣言(撤兵完了は1922)
   (e) 二十一カ条要求の一部撤回と、山東省の権益の中国への返還を約束
 (3) 護憲三派内閣(第1次加藤高明内閣(1924(T13).6〜))〜第2次加藤高明内閣(〜1626(T15).1)
  A.幣原喜重郎、外相に就任(1924(T13).6〜1931(S6).12、ただし田中内閣の際には就任せず)
  B.対ソ関係の関係改善…北樺太以外からの撤兵は1922年にすでに完了
   (a) 日ソ基本条約の調印(1925(T14).1)…ソ連との国交樹立 →治安維持法の成立(1925(T14).5)
    ・北樺太からの撤兵を引き替えに同地方の油田の半分の開発権を獲得
  C.五・三〇事件(1925(T14).5.30)…在華紡(日本系資本の紡績工場)で中国人労働者の死傷事件発生
 (4) 第1次若槻礼次郎内閣(憲政会、1926(T15).1〜1927(S2).3)
  A.協調外交を推進(外相幣原喜重郎)
   (a) 北伐に関しても内政不干渉主義
    ・陸軍、政友会、国家主義団体、中国に利権をもつ実業家は幣原協調外交を軟弱外交として非難
  B.金融恐慌で退陣(1927(S2).3) ←幣原協調外交に対する枢密院の不満
 (5) 田中義一内閣(立憲政友会、1927(S2).4〜1929(S4).7)…対中国だけは強硬外交
  A.協調外交の継承、ただし対中国に関しては強硬外交(このときは幣原喜重郎は外相ではない)
   (a) 欧米に対しては協調外交
    ・ジュネーブ会議(1927(S2))…アメリカ・イギリス・日本による補助艦制限のための軍縮会議 →決裂
    ・パリ会議(1928(S3))…不戦条約の締結
   (b) 中国に対しては強硬外交
    ・山東出兵(1927(S2)〜1928(S3))…北伐の阻止(日本権益の保護)=満州軍閥張作霖を支援
    ・東方会議(1927(S2).6〜7)…中国における日本権益を実力で守る方針を決定
    ・張作霖爆殺事件(1928(S3).6.4)…日本の要求を拒否した張作霖を爆殺(関東軍の暴走)
  B.山東出兵(1927(S2).5〜1928(S3).5)
   (a) 目的…北伐の阻止(満州などにおける日本の権益をまもる)=満州軍閥張作霖を支援
   (b) 名目…在留邦人の生命・財産の保護
   (c) 経過
    ・第一次山東出兵(1927(S2).5)…陸軍約2000人
    ・第二次山東出兵(1928(S3).4)…約5000人 →
      → 済南事件(1928(S3).5)…日本軍、北伐途上の国民革命軍と交戦、済南城を占領
    ・第三次山東出兵(1928(S3).5)
  C.東方会議(1927(S2).6〜7)…東京で開催
   (a) 外交当局者・軍部首脳者が東京に集まり中国問題を協議、満蒙における日本権益を守る方針を確認
    ・「対支政策綱領」の決定…満蒙の中国本土からの分離、親日派軍閥との提携、権益と居留民の現地保護
   (b) この方針に基づき、満州軍閥張作霖と交渉して日本権益の拡大を要求 →
      → 張作霖、拒否 → 関東軍の一部が張作霖を爆殺(張作霖爆殺事件、1928(S3).6.4)
  D.張作霖爆殺事件(1928(S3).6.4)
   (a) 北京から奉天へと引き上げる張作霖の乗った特別列車を奉天駅付近で爆破、張死亡
   (b) 目的…関東軍の一部参謀らが満州を武力占領し、日本の傀儡政権を樹立のため計画、実行
    ・陸軍は中国側の仕業と公表、政府・軍首脳部も本当の犯人を知らない
      ※関東軍(1919(T8)設置)…関東州と南満州鉄道の警備が主な任務、特務機関は謀略を行う
   (c) 結果…戦術的にも戦略的にも失敗
    ・中国では反日感情は一層増大
    ・張学良(張作霖の子)は日本から離脱  → 国民党政府に協力して日本に反抗
    ・政府、軍部首脳はこの事実を知らず → 関東軍の出動を認めず、計画は失敗
      ※しかし、3年後の満州事変で実現してしまう
    ・立憲民政党、「満州某重大事件」として政府を攻撃 →
      → 政府は内部調査を実施するが、真相を公表できない →
       → 田中義一、約束の不履行を天皇から叱責され内閣退陣(1929(S4).7)
    ・関東軍は責任を追及されることもなく謀略を繰り返す → 柳条湖事件へ
 (6) 浜口雄幸内閣(立憲民政党、1929(S4).7〜1931(S6).4)…幣原協調外交の復活
  A.幣原協調外交の復活(外相幣原喜重郎) → 1931(S6).12まで在任
  B.日中関係の改善
   (a) 日中関税協定の調印(1930(S5))…中国の関税自主権を承認
  C.ロンドン軍縮会議への参加(1930(S5).1〜4)
   (a) ロンドン海軍軍縮条約の締結…アメリカ、イギリス、日本3国間のによる補助艦の保有量制限
    ・主力艦建造禁止をさらに(ワシントン軍縮条約締結〜)5年延長
    ・補助艦の保有量合計トン数を対米6.97割とする(ただし、大型巡洋艦は対米6割)
      日本は対米7割を主張 → 前回に続いて今回も実現されず → 海軍ら不満残る
   (b) 「統帥権干犯問題」の発生…政府の調印を軍の一部、政友会、国家主義団体が政府を攻撃
    ・批判側の論拠…海軍軍令部長の反対を押さえ、兵力量を決定(条約調印)したのは天皇の統帥権を侵す
      ただし、海軍軍令部は天皇の統帥権を一端を担うがそれは軍の作戦・用兵レベルのことであり、
      兵力量の決定には予算のこともあるので当然内閣が絡む、条約の締結は内閣の輔弼事項
      批判側に正当性なし
    ・批判側の背景…浜口内閣の協調外交(幣原協調外交)への不満(軟弱外交として)、軍縮政策への不満
    ・浜口はこの論をはね除け、枢密院の同意を取り付けて条約の批准に成功
  D.浜口雄幸の狙撃(1930(S5).11.14)…東京駅頭で国家主義団体の青年によってピストル狙撃
   (a) 退陣(1931(S6).4) → 浜口雄幸の死(同年.8)
政党による政策の違い
政  党 財政のあり方 大蔵大臣 金 輸 出 外交態度
立憲政友会 積極財政 高橋是清 金輸出再禁止 対欧米:協調外交
対中国:強硬外交
政友会は対外政策は帝国主義的色彩が薄い、普通選挙に反対など内政は保守的
地元への利益誘導に熱心
立憲民政党 緊縮財政 井上準之助 金解禁 対欧米:協調外交
対中国:協調外交
外相:幣原喜重郎
憲政会は内政的には自由主義的
外交政策は帝国主義的、幣原外相となって以降協調外交
 辛亥革命(1911)〜1930年頃の中国の状況
 (1) 辛亥革命の背景
  A.清朝の動揺…北清事変の失敗、改革(変法運動など)の失敗、漢民族の反感など
  B.革命勢力の台頭…漢民族による清朝政府の打倒と漢民族による民国の建設
   (a) 興中会の結成(於:ハワイ、1904(M37))
    ・孫文が華僑の同志を集めて結成  → 中国革命同盟会の結成(1905)
   (b) 中国革命同盟会の結成(於:東京、1905(M38))
    ・孫文が興中会を母胎に他の革命運動組織を統合 → 辛亥革命後、国民党に発展(1912)
    ・三民主義…孫文の唱えた主義、民族の独立、民権の伸長、民生の安定
 (2) 辛亥革命(1911)とその後
   A.武漢蜂起(1911(M44)) → 武昌蜂起(1911.10.10)
   B.中華民国の建国宣言(1912(M45).1.1)…中華民国臨時政府成立、臨時大統領:孫文
   C.清朝の滅亡(1912(M45).2)…宣統帝(溥儀・3歳)の退位
    (a) 袁世凱、革命軍と妥協(戊戌政変)  → 孫文、臨時大統領を袁世凱に譲る
    (b) 袁世凱、国民党(孫文ら、もと中国革命同盟会)を弾圧 → 孫文は日本に亡命
    (c) 袁世凱は初代大統領に就任(1913(T2)) → 袁世凱の専制体制確立
   D.対華二十一カ条の要求(1915(T4).1)…第二次大隈重信内閣(加藤高明外相)
    (a) 5号21カ条からなる中国への利権の要求 → 袁世凱、16条を承認(1915.5)
    (b) 中国の排日運動激化  → 中国は5/9を「国恥記念日」とする
    (c) 国際的な非難 → 列強との国交調整の必要(石井・ランシング協定、英国覚書など)
   E.段祺瑞が実権掌握 ←袁世凱死(1916(T5))
    (a) 西原借款(1917(T6)〜1918(T7))…寺内正毅内閣、西原亀三(借款供与仲介者)
     ・寺内正毅内閣が武力進出を転換、経済的援助を与えることで中国支配を拡大
     ・8借款、計1億4,500万円 → 段祺瑞の政治資金・軍事資金となる、回収不能、失敗
   F.五・四運動(1919(T8).5.4)…日本が山東省の旧ドイツ権益を受け継ぐことに対する反対運動
    (a) 以降、反帝国主義、排日の民族運動激化
 (3) 国民党の巻き返しと北伐
   A.広東政府の成立(1921(T10))…中心は孫文ら
   B.第一次国共合作(1924(T13))…孫文(中国国民党)、共産党と連合して軍閥打倒の方針を表明
    ※中国共産党…陳独秀らが1921年に創設
   C.孫文の死(1925(T14))
   D.北伐の開始(1926(T15).7〜1928(S3).6)…軍閥打倒による中国統一
    (a) 孫文の死後、蒋介石は全国統一を目指し国民革命軍を率いて北上開始(1926(T15).7)
    (b) 蒋介石、反共クーデターを行い、共産党と絶縁、南京に国民政府樹立(1927(S2).4)
     ・国共内戦(1927(S2)〜1936(S11))…中国国民党と中国共産党は内戦に突入
     ・日本は北伐阻止(日本の利権を守る)を目的に山東出兵を実施(1927(S2).5〜1928(S3).5)
       ・第一次山東出兵(1927(S2).5)…陸軍約2000人
       ・第二次山東出兵(1928(S3).4)…約5000人 →
         → 済南事件(1928(S3).5)…日本軍、北伐途上の国民革命軍と交戦、済南城を占領
       ・第三次山東出兵(1928(S3).5)
     ・張作霖爆殺事件(1928(S3).6.4) ← 満州軍閥張作霖に日本権益の拡大を要求、張拒否
       田中義一、真相を公表できず退陣(1929(S4).7)
       張学良(張作霖の子)は日本から離脱、国民党政府に協力して日本に反抗
    (c) 北伐完了(1928(S3).6)…中国国民党による中国統一完成(張学良も協力)
 (4) 国民政府による国権回復運動の開始(1920年代末)…列強に与えていた権益の回収
   A.回収すべき権益
    (a) 治外法権の撤廃
    (b) 関税自主権の確立
    (c) 鉄道権益の回収
    (d) 外国人租界や租借地の回復
    (e) 外国軍隊の撤退
   B.日本における満州の意味…「日本の生命線」−日露戦争以来、特殊権益地帯
    (a) 対ソ戦略拠点
    (b) 中国革命抑圧地点
    (c) 重工業のための重要資源供給地
    (d) 農業移民の受け入れ地
   C.国権回復運動における日本(とくに軍部)の危機感(「満蒙の危機」)増大
    (a) 幣原協調外交(第2次若槻礼次郎内閣、立憲民政党)を軍部は「軟弱外交」とし非難
    (b) 陸軍、満州を軍事力で中国から切り放し、日本の支配下に置くことを計画 →
        → 柳条湖事件の自作自演(1931(S6).9.18)
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 ■2.軍部の台頭


1.満州事変(1931(S6))…柳条湖事件→満州の武力占領→満州国成立
 (1) 中国情勢の変化
  A.国民政府による国権回復運動の開始(1920年代末)…列強に与えていた権益の回収
   (a) 回収すべき権益
    ・治外法権の撤廃
    ・関税自主権の確立
    ・鉄道権益の回収
    ・外国人租界や租借地の回復
    ・外国軍隊の撤退
   (b) 国民政府、不平等条約の無効を一方的に宣言(1931(S6))
  B.日本における満州の意味…「日本の生命線」−日露戦争以来、特殊権益地帯
   (a) 対ソ戦略拠点
   (b) 中国革命抑圧地点
   (c) 重工業のための重要資源供給地
   (d) 農業移民の受け入れ地
  C.日本(とくに軍部)の危機感(「満蒙の危機」)
   (a) 中村大尉事件(1931(S6).6)…対ソ作戦準備のため満州奥地を調査中の参謀本部員中村震太郎大尉が
     中国軍により殺害
   (b) 万宝山事件(1931(S6).7)…長春に近い万宝山で朝鮮人農民200名と満州人が大衝突
   (c) 国権回復運動の高揚
    ・幣原協調外交(第2次若槻礼次郎内閣、立憲民政党)を軍部は「軟弱外交」とし非難
    ・陸軍、満州を軍事力で中国から切り放し、日本の支配下に置くことを計画 →
       → 柳条湖事件の自作自演(1931(S6).9.18)
 (2) 柳条湖事件(南満州鉄道爆破事件、1931(S6).9.18)…関東軍による自作自演劇
  A.武力行使の口実のため関東軍参謀石原莞爾らが奉天(現・瀋陽)郊外の柳条湖で南満州鉄道を爆破
    (実際には列車が通過しても脱線しないほど軽微な損害)
   (a) 関東軍は中国側の仕業と発表して、全面的な軍事行動を開始 → 満州各地を占領
   (b) 新聞も陸軍の発表通り報道して中国を非難  → 国民も関東軍の行動を支持
   (c) 政府(若槻礼次郎内閣)はその事実を知らず           ※当時は「柳条溝」と誤報
  B.第2次若槻礼次郎内閣、不拡大方針を声明 →関東軍は無視、戦線拡大(「統帥権の独立」で可能、憲11)
   (a) 九カ国条約に反するとして当初は不拡大方針を表明
   (b) 軍部を押さえきれず、世論も味方せず、軍部急進派のクーデター計画におびえ退陣(1931(S6).12)
    ・三月事件(1931(S6).3)…桜会(橋本欣五郎らの陸軍急進派将校中心)によるクーデター計画発覚
    ・十月事件(1931(S6).10)…桜会が再び企てたクーデター計画発覚
   (c) 犬養毅内閣成立(立憲政友会)
  C.第一次上海事変(1932(S7).1)…満州から列強の注意をそらすために上海へ出兵
  D.日本軍、満州の主要部を占領(1932(S7).2)
 (3) 「満州国」の成立(1932(S7).3)…陸軍によって作られた完全な日本の傀儡政権
  A.「満州国」成立の経過
   (a) 満州国建国宣言(1932(S7).3)…もと清朝の廃帝愛新覚羅溥儀が執政(共和国の形態)
    ・満州国…中国5省(東三省(興安、黒龍江、吉林)、奉天、熱河)、首都:新京(長春)
   (b) 犬養毅内閣、承認を渋る(ただし、軍部には比較的協調的なため、軍部は戦線を拡大)
    ・五・一五事件で犬養内閣倒壊(1932(S7).5.15) →斎藤実内閣成立  ※斎藤実…海軍穏健派
    ・以後、なし崩し的に強硬外交に転換
   (c) 斎藤実内閣、満州国の独立を承認=「日満議定書」(+秘密協定)の締結(1932(S7).9.15)
   (d) 「日満議定書」…日本権益の承認、日本軍の無条件駐屯など=満州国は日本の完全なる傀儡政権
    ・満州国の国防と治安維持を日本にまかせる、費用は満州国負担
    ・鉄道・港湾・水路・航空路などの管理と新しい敷設を日本にまかせる
    ・日本軍の必要とする各種施設を援助
    ・日本人を満州国の参議および中央・地方官吏に任じ、その選任は軍司令官にまかせる
   (e) 平頂山事件(1932(S7).9.16)…日本軍による中国人大量虐殺事件
    ・満州国承認当日、満鉄経営の撫順炭鉱が抗日ゲリラによって襲撃 →
      → 翌日、日本軍は事件に関係ありとみなした平頂山の住民を殺害(約800〜3,000人)
   (f) 満州国、帝政の実施(1934(S9).3.1)…執政溥儀は皇帝となる
  B.「満州国」の実態
   (a) 完全なる日本の傀儡政権、溥儀に実質的権限なし ←「日満議定書」を見よ
   (b) 主要ポストは日本人が占める、駐満特命全権大使(兼関東軍司令官・兼関東長官)が指導
 (4) 国際連盟の脱退(1933(S8).3通告、1935(S10)発効)…協調外交破綻、日本は国際的に孤立
  A.国際連盟、リットン調査団を派遣(1932(S7).2〜9)  ←中国は国際連盟へ提訴
   (a) 報告書の発表(1932(S7).10)…満州国における中国の主権を認める=日本の主張を否定
  B.国際連盟の脱退(1933(S8).3通告、1935(S10)発効)
   (a) 国際連盟、ジュネーブでの臨時総会で日本への勧告案提出(1933(S8).2)  → 採択
    ・勧告案の内容…日本の占領を不当として、日本軍の満鉄付属地内への(満州からの)撤兵
    ・採決…賛成42、反対1(日本のみ)、棄権1 → 松岡洋右ら日本全権は退場
   (b) 日本、正式に国際連盟からの脱退を通告(1933(S8).3.12)  → 発効(1935(S10))
  C.日本の国際的孤立の拡大
   (a) 国際連盟からの脱退(1933(S8).3通告、1935(S10)発効)
   (b) 海軍軍縮条約の廃棄・失効 → 無制限建艦競争時代に突入
    ・ワシントン海軍軍縮条約の脱退(1934(S9).12) → 失効(1936(S11).12)
    ・ロンドン海軍軍縮条約の脱退(1936(S11).1)
 (5) 満州事変その後
  A.日本軍、熱河省(満州の西側の地域)を占領(1933(S8).3) → 国際連盟は態度硬化
  B.日中軍事停戦協定(塘沽停戦協定、1933(S8).5.31)=一応、停戦の成立
   (a) 内容…華北省の冀東地区から日中両軍が撤退し、武装地帯を設定、治安維持には中国警察があたる
   (b) 日本の満州・熱河省支配を中国に事実上承認させる  ←列強は強く反対
  C.満州国、帝政の実施(1934(S9).3)…執政溥儀は皇帝となる
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 ■3.政党政治の崩壊


1.政党政治の崩壊
 (1) 国家改造運動(国家主義による革新運動)の高揚
  A.軍部の青年将校、民間の国家主義団体(右翼)の国家改造運動の活発化(1930(S5)頃〜)
   (a) 活発化の理由
    ・ロンドン海軍軍縮条約の締結(1930(S5))…対米英7割の実現不可、統帥権干犯問題
    ・満蒙問題の危機(1928(S3)頃〜)…北伐の完了、国民政府の国権回復運動の開始
    ・農村の疲弊  ←度重なる不況(戦後恐慌(1920)、金融恐慌(1927)、昭和恐慌(1930))
    ・元老・政党・財閥などの支配層に対する不満
      国家の危機と国民の窮状をよそに私利私欲・党利党略にふけっているとする(このような
      動きを指示する国民も多い)
   (b) 国家改造運動の方向…「現状打破
    ・天皇が日本の中心であることを強調
    ・政党政治、資本主義経済、協調外交を否定
    ・民間右翼と軍部との結びつき
   (c) 国家改造(国家革新)の方法…元老・政党・財閥を実力行動(クーデター)で打倒
 (2) 政党内閣の崩壊
  A.第2次若槻礼次郎内閣(立憲民政党、1931(S6).4〜12) →クーデターにおびえ閣内不一致、退陣(1931(S6).12)
   (a) 幣原協調外交に対する軍部の反発
    ・若槻内閣…満州事変(とくに満州国の建設)には反対(九カ国条約違反という理由)
   (b) 三月事件(1931(S6).3)
    ・橋本欣五郎中佐を指導者とする陸軍青年将校の秘密結社桜会と、大川周明らの民間右翼が政党内閣を
     打倒し、軍政府を樹立しようとしたクーデター未遂事件
    ・処分は軽微  → クーデター計画は絶えない、むしろ活発化
   (c) 十月事件(1931(S6).10)…満州事変に呼応、三月事件と同様、桜会によるクーデター未遂事件
  B.犬養毅内閣(立憲政友会、1931(S6).12〜1932(S7).5)
   (a) 犬養内閣、満州国承認を渋る → 右翼・軍部の不満増大
   (b) 血盟団事件(1932(S7).2〜3)…井上準之助・団琢磨連続暗殺
    ・「血盟団」…井上日召を中心とする急進的国家主義団体、一人一殺主義を唱え政財の要人暗殺
      井上準之助(立憲民政党、前蔵相)の射殺(1932(S7).2.9)
      団琢磨(三井合名会社理事長)の射殺(1932(S7).3.5) →
        → 血盟団の政財界要人大暗殺計画発覚(20余名を計画)
   (c) 五・一五事件(1932(S7).5.15)…犬養内閣崩壊=政党内閣時代の終焉
    ・陸海軍青年将校の一団が白昼、首相官邸を襲って犬養毅首相を射殺
    ・これに呼応して青年将校や民間有志(大川周明ら)が、牧野伸顕内大臣邸・警視庁・立憲政友会
     本部・日本銀行・東京近郊の変電所を襲撃
    ・参加者:陸海軍青年将校18名+民間右翼有志(規模は二・二六事件と比べ小さい)
  C.斎藤実内閣(1932(S7).5〜1934(S9).7)…挙国一致内閣
   (a) 斎藤実内閣の成立…非政党内閣、官僚・政党員の挙国一致内閣として組閣
    ・陸軍、政党内閣の樹立に反対(青年将校を押さえきれないという理由) →
       → 元老西園寺公望は穏健派の斎藤実(海軍大将)を次期首相に指名
    ・斎藤実、挙国一致内閣として組閣(軍部、貴族院、官僚、政党から閣僚を選ぶ)
   (b) 斎藤内閣の政治…強硬外交への転換  → 日本の孤立化進む
    ・満州国の承認(1932(S7).7)=「日満議定書」の調印
    ・国際連盟の脱退通告(1933(S8).3) ←ジュネーブでの臨時総会で日本への勧告案可決
   (c) 斎藤内閣、帝国人絹疑獄事件(1932(S7).4)発覚にからみ退陣(1932(S7).7)
  D.岡田啓介内閣(1934(S9).7〜1936(S11).3)…挙国一致内閣
   (a) 岡田啓介内閣の成立…岡田啓介(海軍大将)、挙国一致内閣として組閣
    ・次第に政党の勢力は後退
    ・軍部、軍部と結びついた官僚(革新官僚)、国家主義革新勢力(右翼)の政治的発言力増大
   (b) 陸軍パンフレット問題(1934(S9).10)…陸軍製作「国防の本義と其強化の提唱」
    ・軍部(陸軍)、軍事面ばかりでなく、政治・経済思想・国民生活全般にわたる改革を主張
    ・軍部の政治・経済への介入として問題化
   (c) 美濃部達吉の天皇機関説問題(1935(S10))
    ・天皇機関説問題…貴族院で美濃部の天皇機関説が反国体的とされ政治問題化
    ・岡田啓介内閣、美濃部の著書を発禁処分、美濃部の貴族院議員で決着 →
       → 国体明徴声明(第一次(1935(S10).8)、第二次(.10))
     ※国体明徴声明…天皇機関説を排斥、国家体制を明らかにするの意
   (d) 二・二六事件(1936(S11).2.26)…岡田内閣崩壊 → 広田弘毅内閣成立(軍部による支配)
    ・急進的な皇道派の青年将校らが1400余名の部隊を率いて蜂起、首相・蔵相・内大臣・教育総監
     ・侍従長などの指定・官邸を襲撃
    ・蔵相高橋是清、内大臣斎藤実、教育総監渡辺錠太郎らを殺害、首相岡田啓介は奇跡的に脱出
 天皇機関説(国家法人説)と天皇機関説問題
 (1) 「天皇機関説(国家法人説)」と「天皇主権説」
  A.「天皇機関説(国家法人説)」…立憲君主制はこの理論で成立
   (a) 法人としての国家が主権の主体であり、君主は国家の最高機関として憲法の条規に従
     って統治権を行使するという憲法学説  →立憲君主制の基本的な発想
   (b) 美濃部達吉が提唱、世論や法学者らの支持あり
    ※機関…organaizerの訳
  B.「天皇主権説」
   (a) 国家の主権は天皇個人にあるとする憲法学説  →立憲君主制と矛盾
   (b) 穂積八束(法学者)ら、菊池武夫(貴族院議員、軍人出身)、軍部・右翼

 (2) 天皇機関説問題(1935(S10))
  A.上杉・美濃部論争…天皇主権説を主張する東京帝大教授上杉慎吉との論争 →美濃部の勝利
  B.議会で貴族院議員菊池武夫が天皇機関説が反国体的であると非難(1935(S10).2.18) 
   (a) 菊池の批判理由…天皇を「機関」とするのが問題(言葉の揚げ足をとる) 
  C.美濃部、貴族院で弁明(1935(S10).2.25)  → 軍部・右翼納得せず
  D.岡田啓介内閣、軍部・右翼の天皇主権説をのみ、美濃部の「憲法撮要」など3著を発禁処分
   (a) 「国体明徴声明」を実施(1935(S10).8・.10の2回)
  E.美濃部、貴族院議員・学士院会員を辞することで起訴猶予処分となり決着
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 ■4.思想・言論の統制


1.思想・言論の統制
 (1) 転向の時代
  A.社会主義者の転向…左翼→右翼
   (a) 国家改造運動(国家主義による革新運動)の高揚
   (b) 官憲の厳しい取締り…治安維持法(1925(T14)制定、1928(S3)改正)
  B.転向する社会主義者・無産政党
   (a) 日本国家社会党の設立(1932(S7))…国家社会主義(右翼)政党
    ・社会民衆党から離脱した赤松克麿(もと社会主義者)が結成
    ・日本国家社会党の主張
      「一君万民の国民精神に基き搾取なき新日本を建設する」こと
      資本主義体制の打破
      昨最適な領土の再分割の実施
   (b) 無産政党の右傾化、活動の停止
    ・社会大衆党の結成(1932(S7))  → 次第に右傾化
      社会民衆党(1926(T15)〜)と全国労農大衆党(1931(S6)〜)が合同
      委員長安部磯雄、書記長麻生久
      麻生久、陸軍パンフレット「国防の本義と其強化の提唱」の起草に参画…軍部に接近
    ・日本無産党(鈴木茂三郎ら)、政府の圧力で活動停止(1937(S12))
   (c) 共産党員の転向と、共産党の活動停止
    ・三・一五事件(1928(S3))、四・一六事件(1929(S4))…官憲による徹底的弾圧、以後壊滅状態
    ・最高指導者である佐野学・鍋山貞親は獄中から転向を声明(1933(S8))→獄中の共産党員の大半は転向
      ※転向後の思想…コミンテルンの画一主義を批判、天皇制の打倒ではなく、天皇のもとに一国社会
              主義革命を行う必要をとく
    ・1935(S10)年には組織的活動停止
 (2) 思想・学問の弾圧事件…社会主義だけではなく、自由主義・民主主義的思想・学問も弾圧対象
  A.森戸事件(1920(T9))
   (a) 東京帝大助教授森戸辰男の論文「クロポトキンの社会思想の研究」を危険思想の宣伝として、森戸を休職処分
  B.滝川事件(1933(S8).4、斉藤実内閣)
   (a) 文部大臣鳩山一郎、自由主義的刑法学を唱える京都帝大教授滝川幸辰の「刑法読本」などの著書が国家
     破壊の思想著作として滝川を免職とする
    ・京都帝大法学部教授会は全員辞表を提出したが敗北(滝川は戦後京大に復帰、総長となる)
    ・辞表を提出した佐々木惣一・末川博も免職
  C.天皇機関説問題(1935(S10)、岡田啓介内閣)…省略
  D.矢内原事件(1937(S12).12、第1次近衛文麿内閣)
   (a) 東京帝大教授矢内原忠雄、政府の植民地政策を批判して著書が発禁処分となる、矢内原は自発的退職
     (戦後東大に復帰、総長となる)
  E.人民戦線事件(1937〜38(S12〜13)、第1次近衛文麿内閣)
   (a) 反ファッショ人民戦線を企てたとして、1937(S12)年に加藤勘十・山川均・鈴木茂三郎らを、
    1938(S13)年に大内兵衛・有沢広巳・美濃部亮吉らを治安維持法違反で検挙
  F.河合栄治郎の休職(1939(S14)、平沼騏一郎内閣)
   (a) 東大教授河合栄治郎、自由主義的経済学説を攻撃され、著書が発禁処分に、大学は休職
  G.津田左右吉筆禍事件(1940(S15)、米内光政内閣)
   (a) 早稲田大学教授津田左右吉、日本古代史の実証的研究が皇室の尊厳を傷つけるものとして、国粋主義
     者によって著書が発禁処分となり、起訴
 (3) その他
  A.伏字の多い論文
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 ■5.経済の回復


1.蔵相高橋是清(犬養毅内閣・立憲政友会)の財政政策←蔵相井上準之助(浜口内閣・民政党)の方針転換
 (1) 金輸出再禁止
  A.金輸出再禁止(1931(S6).12.13)…犬養毅内閣成立直後、蔵相高橋是清
   ※金輸出解禁(1930(S5).1.11) …浜口雄幸内閣、蔵相井上準之助
  B.金兌換停止(12.17)=金本位制の停止、管理通貨制度への移行
   (a) 金本位制…通貨量は正貨(金)の量に拘束
   (b) 管理通貨制度…国家が通貨量(マネーサプライ)を管理 → 国家による通貨量増加も自由
  C.金輸出再禁止(金兌換停止)、管理通貨制度への移行の結果
   (a) 円為替相場の下落(100円=20ドル前後、以前の半額) →産業界は逆に輸出増大で活気づく
   (b) 軍事費増によるインフレーションの拡大
 (2) 財政膨張政策…立憲政友会(蔵相高橋是清)的発想、赤字国債の発行
  A.軍事費の拡大 → インフレーションの拡大、軍部と財閥が結びつく
  B.時局匡救事業の実施=公共土木事業の実施…昭和恐慌後の不景気対策
    → 軍事費の膨張で予算縮小 →農山漁村経済更生運動への転換(「自力更生」、斉藤実内閣)
 (3) 結果
  A.経済の回復…1933(S8)年には世界に先駆けて昭和恐慌以前の生産水準を回復
   (a) 回復の要因
    ・財政膨張策…軍事費中心
    ・政府の保護…重要産業統制法の制定(1931(S6))、など
    ・輸出増大…とくに綿織物の輸出、輸出額は世界1位
      円為替相場の下落(100円=20ドル前後、以前の半額)…円安は日本からの輸出に有利
       → 列強はソーシャル=ダンピング(輸出拡大のための国ぐるみでの投げ売り)と非難
      産業界は産業合理化で国際競争力回復
  B.インフレの進行…経済界は活気づいても庶民の生活は改善されない
  C.対米依存度の増大…綿花・石油・くず鉄の対米依存度が上昇


2.重化学工業の発達
 (1) 重化学工業の発達…重化学工業生産が軽工業生産を上回る(1930年代後半)
  A.鉄鋼業
   (a) 日本製鉄会社の設立(半官半民の国策会社、1934(S9))
    ・八幡製鉄を中心に製鉄会社の大合同、製鉄能力の90%を独占、鋼材の自給達成
  B.化学工業…電力を基礎とした化学コンビナートが発達  ←新興財閥中心
 (2) 新興財閥の成立(1933〜34(S8〜9)頃)
  A.「新興財閥」
   (a) 旧財閥(三井、三菱、住友、安田)に対する新興財閥
   (b) 新興財閥の特徴
    ・重化学工業、電力業が基盤
      旧財閥:金融・産業資本中心 → 旧財閥も次第に重化学工業分野に進出
    ・資金調達が大衆資金に依存、同族の持ち株比率が低い
      すなわち、新興財閥は系列銀行がない → 政府予算に頼る(政府の欲する物をつくる)
    ・軍部と結びつき、軍需関連物資の生産、満州・朝鮮半島へ進出
  B.新興財閥の例
   (a) 日産コンツェルン鮎川義介の日本産業会社を中心に日産自動車・日立製作所など18社
    ・満州重工業開発会社を設立、満鉄にかわって満州の重化学工業を独占支配
   (b) 日窒コンツェルン…野口遵の日本窒素肥料会社を中心に28社
    ・朝鮮北部で水力発電や化学コンビナートを建設
   (c) 理研コンツェルン…理化学興業を中心に23社
    ・所長大河内正敏は研究成果の工業化のため理化学興業を設立
    ・理化学研究所(1925(T14))が母胎
   (d) 森コンツェルン……森興業を中心に28社のコンツェルン、昭和電工設立(1939〜)
   (e) 日曹コンツェルン…中野友礼の日本曹達(ソーダ)を中心とする25社のコンツェルン
   (f) 中島飛行機…中島知久平が創業、日本最大の航空機メーカーに成長


3.世界恐慌からの脱出
 (1) 列強の世界恐慌からの脱出…列強は世界恐慌からの脱出に苦しむ
  A.アメリカ…フランクリン=ルーズヴェルトにより、「ニュー=ディール政策」実施(1933〜)
  B.イギリス…「ブロック経済圏」を形成
   (a) ブロック経済政策…本国と属領とが相互に特恵を与え、商品の市場を確保しあう政策
    ・植民地の多いイギリスゆえに可能
  C.イタリア、ドイツ…一党独裁のファシズムやナチズム体制の確立 → 第二次世界大戦へ
  D.ソヴィエト連邦…計画経済のため世界恐慌は影響なし
   (a) スターリンのもとで数次にわたる五カ年計画を実施
 (2) 列強(とくにイギリス)の反発
  A.イギリス、日本商品のイギリス経済ブロックへの進出を、ソーシャル=ダンピングと非難
   (a) イギリス、輸入割当や高率関税で対抗 → 日本の輸出入は抑制
   (b) 日本はとくに輸入面(綿花、石油、屑鉄、機械など)においてアメリカへの依存度が上昇
    ※ダンピング…不当廉価販売の意
    ※ソーシャル=ダンピング
      輸出拡大のため、賃金などの労働条件を切り下げ、生産費を下げ、国ぐるみで
      海外市場で投げ売りを行うこと →各国は市場を荒らされるため嫌う
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 ■6.軍部支配の確立


1.二・二六事件(1936(S11).2.26)
 (1) 背景
  A.陸軍内部の派閥対立
   (a) 皇道派…直接行動による急進的な改革、既成支配層の打倒・天皇親政を目指す
    ・天皇中心の革新論を唱え、元老・重臣・政党・財閥など「現状維持勢力」を排撃  →排撃後は?
    ・荒木貞夫、真崎甚三郎(教育総監)を中心とする隊付将校が中心
    ・北一輝の思想的影響を受ける、北一輝著「国家改造案原理大綱(日本改造法案大綱)」
    ・天皇機関説の排撃に熱心
   (b) 統制派…組織による改革、「高度国防国家」の実現
    ・元老・重臣・財閥・政党(無産政党を含む)を排撃することなく、むしろ利用して、陸軍全体の
     統制を強化しその組織的動員によって(来るべき世界大戦に備え)「高度国防国家」をめざす
    ・林銑十郎、永田鉄山、東条英機を中心とする中堅の実務的幕僚が中心(陸軍省の中枢)
    ・「新官僚」と提携
      ※新官僚…五・一五事件後に台頭した親軍的・右翼革新的な内務省関係者中心の官僚勢力
  B.経過
   (a) 満州事変(1930(S2))以後…皇道派の台頭
    ・荒木貞夫、真崎甚三郎らの皇道派が陸軍の要職をしめる
   (b) 1934(S9)年以降…統制派の巻き返し=皇道派のあせり
    ・士官学校事件(十一月事件、1934(S9).11)…統制派が皇道派青年将校らのクーデタ計画を摘発
    ・陸相林銑十郎、永田鉄山を軍務局長に起用して皇道派を圧迫
    ・(陸軍)教育総監真崎甚三郎、罷免(1935(S10))
    ・相沢中佐事件(1935(S10).8)…皇道派圧迫に反発した相沢三郎(皇道派)が永田鉄山(軍務局長、統制派指導者)を暗殺
 (2) 経過
  A.皇道派の青年将校、1400名の兵を率いて蜂起(1936(S11).2.26、大雪)…正規軍の大規模反乱
   (a) 首相官邸、警視庁、内務省、参謀本部、陸軍省、朝日新聞社、重臣の私邸などを襲撃
   (b) 蔵相高橋是清、内大臣斎藤実、(陸軍)教育総監渡辺錠太郎らを殺害、岡田啓介首相は九死に一生を
     得て脱出、侍従長鈴木貫太郎は重傷を負うも生命はとりとめる
  B.事件の処理へのとまどい
   (a) 陸軍、当初処理に戸惑い
    ・陸軍の蜂起部隊の呼称…蹶起部隊(当初)→占拠部隊(27)→騒擾部隊(28)→反乱部隊(29)
    ・厳戒令施行(2.27)
   (b) 海軍は強硬鎮圧を主張、天皇も同様の意向
  C.蜂起部隊を「反乱部隊」として本格的に鎮圧(2.29)
   (a) 野中四郎大尉は自殺、他は自首・投降
   (b) 裁判の結果
    ・将校13名、民間人4名の首謀者17名は死刑  ←昭和天皇による厳罰の支持
    ・事件の参加しなかった北一輝(皇道派の理論的指導者)らも死刑
      ※北一輝著「国家改造案原理大綱(のちに「日本改造法案大綱」と改称)」(1919(T8))
 (3) 結果
  A.陸軍、「粛軍」を実施…皇道派を一掃、統制派が実権掌握
   ・皇道派の青年将校の牙城である第一師団(根拠地は東京)を満州に派兵(追い払う)
  B.陸軍、広田弘毅内閣(1936(S11).3〜1937(S12).1)へ干渉   ※広田弘毅…文官(右翼的人物)
   (a) 組閣に露骨な干渉
   (b) 軍部大臣現役武官制の復活(1936(S11).5)
    ・軍は内閣に不満があると、この制度によって軍部大臣を推薦しなかったり辞職させたりして内
     閣の存立を脅かした
   (c) 「国策の基準」の決定(1936(S11).8)…「庶政一新」と「広義国防」を内閣の政綱とさせる
    ・「帝国国防方針」を改訂 → 膨大な軍事予算の計上
    ・ワシントン/ロンドン海軍軍縮条約の廃棄、失効(1936(S11)末) → 無制限建艦競争に突入
    ・日独防共協定の締結(1936(S11).11)
    ・華北分離策の実施
    ・中国大陸と南方を日本中心にブロック化 → 「大東亜共栄圏」構想に発展


2.広田内閣とその後
 (1) 広田弘毅内閣(1936(S11).3〜1937(S12).1)、
  A.総辞職(1937(S12).1)…軍部・政党の双方からの反発
   (a) 軍部…国内改革の不徹底が不満
   (b) 政党…軍備拡張による国際収支の悪化など
 (2) 林銑十郎内閣(1937(S12).1〜.6)
  A.広田内閣総辞職後、組閣は宇垣一成(陸軍、穏健派)に命ぜらる →
     → 軍部は宇垣に反対して陸相を推薦せず(宇垣軍縮の仕返し) → 宇垣内閣は不成立
  B.林銑十郎(陸軍大将)による組閣、軍部と財界との調整を図る(軍財抱合)
   (a) 軍部との協調がうまく行かず4ヶ月で倒閣  → 近衛文麿(貴族院議長)による組閣
 (3) 第1次近衛文麿内閣(1937(S12).6〜1939(S14).1)
  A.盧溝橋事件(1937(S12).7.7)…日中戦争開始
  B.張鼓峰事件(1938(S13).7)
  C.東亜新秩序建設表明(1938(S13).11)
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 ■7.ファシズムの台頭


1.ファシズムの台頭…イタリア・ドイツではファシズム政党が政権掌握
 (1) ファシズム(全体主義的独裁体制)
  A.特徴
   (a) 一党独裁体制…反対党の存在は許されない
    ・複数の政党による自由主義的な議会制民主主義は(議会制そのものも)否認
   (b) 民族主義、国家主義、軍国主義の高唱 → 軍備拡張、対外膨張(侵略)政策
   (c) 思想・言論に対する厳しい統制・画一化、価値の一元化
  B.ファシズム形成の要因
   (a) 基本的な要因
    ・恐慌などの経済危機による社会不安の増大(例:第一次世界大戦後のドイツ)
    ・議会政治の非能率化や、腐敗による国内政治の不安定
    ・自由主義的な政党政治・議会政治が十分な機能を果たさない
    ・労働者組織も革命を起こすほど能力がない
    ・大衆が自主的・理性的な判断力を喪失
   (b) 上記の状況を打破するために、国家主義団体・軍部が国家主義的な革新政策を掲げて、大衆的な独裁
     体制を樹立
  C.日本の軍国主義はファシズムか?…ドイツ・イタリアとは似てはいるが異なる点も多い
   (a) 相異点
    ・ファシズムの最大の特徴である一党独裁体制は成立しなかった
    ・ヒトラーのような独裁者は存在しない…軍部として政権を掌握したのみ
    ・政治的反対者に対する大量粛正はなかった
  D.ファシズム的な政治体制が成立した国家…イタリア(1922(T11))、ドイツ(1933(T8))、日本
 (2) イタリアにおけるファシズム
  A.ファシスタ党(1919年結成)のムッソリーニよる一党独裁体制
  B.経過
   (a) ファシスタ党のムッソリーニ、クーデターを起こし首相に就任、一党独裁体制樹立(1922(T11))
   (b) 対外的膨張政策の開始
    ・エチオピア侵略(1935〜36(S10〜11))、併合(1936(S11))
    ・スペイン内乱(1936〜39)でフランコ将軍派に軍事的援助開始(1936(S11))
      ※スペイン内乱(1936〜39)…右翼勢力を率いるフランコ将軍による人民戦線内閣に対する反乱、フ
                   ランコの勝利で終結
   (c) ドイツと接近 → ベルリン・ローマ枢軸の成立
 (3) ドイツにおけるファシズム
  A.ナチス(国家(国民)社会主義ドイツ労働者党、1919年結成)のヒトラーによる一党独裁体制
  B.経過
   (a) ナチスが第一党に(1932(S7)) ←経済恐慌(超インフレ)の結果
   (b) ヒトラー内閣の成立(1933(S8))  → 総統に就任(1934(S9))
    ・ヒトラー、全権委任法を成立させて独裁体制樹立、ナチス以外の政党禁止
    ・ヒトラー、首相と大統領を兼ね、総統に就任(1934(S9))
   (c) 国際連盟脱退(1933(S8))
    ・ヴェルサイユ条約破棄の破棄、再軍備宣言(1935(S10))
    ・ラインラント進駐(1936(S11))
   (d) スペイン内乱(1936〜39)でフランコ将軍派に軍事的援助開始(1936(S11)) →
       → フランコ側勝利、フランコの独裁政権成立
   (e) イタリアと接近 → ベルリン・ローマ枢軸の成立


2.三国防共協定
 (1) 日独防共協定の成立(1936(S11).11)
  A.ソ連の動向
   (a) 第一次五カ年計画の実施(1928〜32)…急速な国力の増大
   (b) 国際社会におけるソ連の地位向上…アメリカのソ連承認(1933)、ソ連の国際連盟加入(1934)
  B.日本側の事情  → 日本、「現状打破勢力」たるドイツへの接近
   (a) 日本の国際的孤立化を防止
    ・国際連盟の脱退(1933(S8))
    ・ワシントン海軍軍縮条約、ロンドン海軍軍縮条約の破棄、失効(1936(S11)末)
   (b) 国際共産主義の動向に対抗…ソ連の国際連盟加入、国際社会における役割増大
  C.日独防共協定の調印(1936(S11).11)…広田弘毅内閣
   (a) ソ連を仮想敵国とする、コミンテルン(国際共産党)の活動に共同で対処
 (2) 日独伊三国防共協定の成立(1937(S12)) →枢軸陣営(第二次世界大戦の一方の勢力)の形成
  A.日独防共協定へイタリア参加(1937(S12))=日独伊三国防共協定の成立
   (a) ヴェルサイユ体制・ワシントン体制の打破による世界の「新秩序」を主張
  B.以後、日独伊の枢軸陣営と、英米仏の自由主義陣営、共産主義国のソ連の3勢力の対立表面化
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 ■8.日中戦争


1.日中戦争
 (1) 背景
  A.日本側の状況(満州事変以後)…日中軍事停戦後も華北侵略(「華北分離工作」)を推進
   (a) 満州事変(1931(S6).9〜)
    ・柳条湖事件(1931(S6).9.18)…関東軍自作自演による南満州鉄道の爆破
      関東軍は中国側の仕業と発表して、全面的な軍事行動を開始
    ・若槻礼次郎内閣、不拡大方針を声明  → 関東軍は無視して戦線拡大
      若槻内閣(立憲民政党)の退陣(1931(S6).12)  → 犬養毅(立憲政友会総裁)内閣成立
    ・第一次上海事変(1932(S7).1)…満州事変の意図をごまかすために画策
    ・満州国建国宣言(1932(S7).3)…陸軍によって作られた完全な日本の傀儡政権、執政溥儀
      五・一五事件で犬養毅内閣倒壊(1932(S7).5.15)、斎藤実内閣成立
      斎藤実内閣、満州国の独立を承認…「日満議定書」の締結
    ・日中軍事停戦協定(塘沽停戦協定、1932(S7).5)=満州事変の一応の停戦成立
   (b) 華北分離工作の推進(1935(S10))…満州の次は華北を侵略
    ・停戦後も関東軍・支那駐屯軍は華北分離工作を推進
      ※華北5省(日本側の呼称)…チャハル、緩遠、華北、山西、山東の5省
    ・河北省東部(冀東地区)の非武装化を承認させる →
      → 河北省に冀東防共自治政府を成立(1935(S10))…日本の傀儡政権
    ・広田弘毅内閣も華北5省を日本の勢力下におく方針を表明(1936(S11).8) →
      → 中国では「抗日救国運動」が高揚
  B.中国側の状況(第一次国共合作以後))
   (a) 第一次国共合作の崩壊(国共分裂、1927(S2).4)…蒋介石によるクーデター
    ・張作霖爆殺事件(1928(S3).6)…張学良、蒋介石の国民政府に合流
    ・北伐の完了(1928(S3).6)=国民政府による中国の統一完了 → 国権回復運動開始
   (b) 国共内戦(1930(S5)〜1936(S11))
    ・満州事変(1931(S6).9〜1932(S7).5)
    ・中国共産党、瑞金より延安へ長征(大西遷、1934(S9).10〜1935(S10)) ←国民党の追撃
   (c) 西安事件(1936(S11).12)…国民党と共産党の再接近 ←日本軍の侵略
    ・共産軍討伐のため延安にいた張学良は督励にきた蒋介石を監禁、国共合作を承認させる
    ・盧溝橋事件(蘆溝橋事件、1937(S12).7.7夜)…日中戦争開始
    ・第二次上海事変(1937(S12).8)…日中両国、全面戦争に突入 → 長期戦化
    ・第二次国共合作の成立(1937.9)…抗日民族統一戦線の確立
 (2) 経過
  A.盧溝橋事件(蘆溝橋事件、1937(S12).7.7夜)…日中戦争開始
   (a) 北京(北平)郊外の盧溝橋付近で日本軍と中国軍が衝突
   (b) 政府の対応
    ・第1次近衛文麿内閣、当初、不拡大方針を声明(「北支事変」と呼称)
    ・軍部や政府の強硬派の意見に押され、近衛内閣は次第に強硬方針に転換
      政党や言論機関も政府の強硬方針を支持
      軍部は河北での軍事行動を拡大
  B.第二次上海事変(1937(S12).8)…全面戦争に突入 → 長期戦化
   (a) 上海で大山大尉殺害 → 上海でも軍事行動開始 → 全面戦争へ発展(「支那事変」と改称)
    ・実態は「事変」でなく、全面戦争
      日中両国ともアメリカの中立法の適用を避けるためなどの理由から宣戦布告をしない(あれば「戦
      争」である)、アメリカの中立法には戦争状態にある国への武器弾薬の禁輸条項があった
   (b) 激しい中国側の抵抗、日本軍側は短期間で中国を制圧できると考えていた
    ・南京占領(1937(S12).12)…南京は国民政府の首都
      南京大虐殺事件の発生…日本軍は一般住民を含む中国人多数(中国側発表は30万人)を虐殺
    ・国民政府は、南京から武漢へ、さらに重慶に移って日本軍と抗戦
  C.近衛声明(1938(S13).1)…「(蒋介石の)国民政府を相手にせず」との声明
   (a) 中国駐在ドイツ大使トラウトマンの仲介により和平工作(トラウトマン和平工作)
    ・和平条件が過酷なため国民政府は難色
      日本の和平案…満州国の承認、華北を中心とする特殊権益の設定など
    ・第1次近衛文麿内閣は中国の姿勢が消極的として一方的に打切り=自ら和平の機会を断ち切る
  D.抗日戦の激化…日本は戦争の収拾に苦しむ
   (a) 日本軍、広東・武漢を占領(1938(S13).8)
   (b) 重慶の国民政府は、中国共産党と協力して抗日戦を展開(第二次国共合作)
    ・ソ連・アメリカ・イギリスは国民政府を支援
  E.第1次近衛文麿内閣、「東亜新秩序声明」を発す(1938(S13).11.3、12.22の2回)
   (a) 「東亜新秩序声明
    ・内容
      戦争の目的は日・満・華3国連帯による東亜新秩序の建設 →のち「大東亜共栄圏構想」に発展
      欧米帝国主義の支配からのアジアの解放、など
    ・目的…国民政府からこの声明への同調者が出ることを期待 → 汪兆銘の離脱
      この頃、ヨーロッパは大戦前の危機的状況にあり、イギリスの対アジア政策がゆるむ
   (b) 汪兆銘(汪精衛、国民党副総裁)を重慶政府から密かに脱出をさせる(1938(S13).11)
    ・各地の傀儡政権を統合、南京に汪兆銘による新国民政府(南京政府)を樹立(1940(S15).3)
    ・汪政権(南京政府)による戦争終結を期待するが、弱体のため失敗
   (c) 重慶の国民政府は依然として抗戦  ←アメリカ、イギリス、ソ連の援助
    ・日本は長期戦の泥沼にはまる(終結は1945(S20))…「点と線(都市と鉄道)」の支配に限定
    ・中国側は遊撃戦(ゲリラ戦)を展開 → 日本軍は中国の集落を襲う(中国側は三光作戦として非難)
     ※三光…「殺し尽くす」「奪い尽くす」「焼き尽くす」の意、ゲリラと一般住民との見分けがつかないので集落
         そのものを消滅させる作戦(ゲリラに悩まされたベトナム戦争でアメリカ軍も同様な作戦を実施)
 (3) 大東亜共栄圏構想の樹立
  A.「大東亜共栄圏」…太平洋戦争における日本の中国・東南アジア侵略を正当化するためのスローガン
   (a) 大東亜(東アジア)を欧米の侵略や搾取から解放、民族を独立させ、日本を中心とした共存共栄を説く
   (b) 実際は戦争遂行上必要な物資(石油、ボーキサイト、生ゴム)の獲得が目的
    ・日本・満州・中国占領地の「円ブロック」では自給不可能
    ・これらの物資はもともとアメリカ・イギリスの支配地域・関係企業から輸入していた
   (c) 占領地では圧政と収奪…例:シンガポールの虐殺事件、泰緬連接鉄道工事の強制労働・虐待


2.戦時体制の強化…準戦時体制の長期化に伴う政治の一元化、国民の協力体制の確立
 (1) 国民精神総動員運動の開始(1937(S12))…近衛内閣による戦争遂行のための精神高揚運動
 (2) 戦時経済体制の確立…経済統制の強化(=政府が実権を握る)
  A.戦時経済体制強化の背景…財政の膨張(主たる原因は軍事費の激増)
   (a) 軍需物資の輸入急増 → 国際収支の大幅な赤字
   (b) 増税と赤字公債発行による資金調達 → 悪性インフレの発生
     それ故に、資金と貿易の面から直接経済統制の必要性
  B.経済統制の強化と総力戦体制の構築過程
   (a) 第1次近衛文麿内閣(1937(S12).6〜1939(S14).1)
    ◆臨時資金調整法(1937(S12).9)…軍需産業に優先的に資金提供
    ◆輸出入品等臨時措置法(1937(S12).9)…貿易関係物資の統制権を政府が掌握
    ◆企画院の成立(1937(S12).10)…戦時動員の計画・立案・調整を行う内閣直属の機関
     ・国家総動員法などの立案
     ・軍需省に吸収・合併(1943(S18))
    ◇国民精神総動員運動(1937(S12).10)
    ◆国家総動員法(1938(S13).4)
     ・政府は勅令で(議会の承認なしで)、物資の生産・配給・輸送、労働力の徴発、輸入の制限禁止、
      企業の管理・設備改良や新設、利益の処分、労働条件について政府が統制運用可能
     ・以後、国家総動員法に基づくさまざまな勅令が出される
     ・財界や既成政党は激しく反対、無産政党(社会大衆党)は社会主義の道を開くとして賛成
    ◆電力国家管理法(1938(S13).4)…電力の国家管理、以後私企業への介入強化
    ◇産業報国連盟(1938(S13).7)…資本家団体や労働組合幹部を集めて結成
   (b) 平沼騏一郎内閣(1939(S14).1〜8)
    ◆賃金統制令(1939(S14).3)…国家総動員法に基づく勅令、業種別に初任権を公定
    ◆米穀配給統制法(1939(S14).4)…米の集配機構を一元化、のちに強制買上げ、配給通帳制実施
    ◆国民徴用令(1939(S14).7)…国家総動員法に基づく勅令
     ・職安で軍需工場が労働力を集められない場合、強制的に国民を徴発可能
   (c) 阿部信行内閣(1939(S14).8〜1940(S15).1)
    ◆価格統制令(1939(S14).10)…国家総動員法に基づく勅令
     ・同年9月18日の水準で価格を据え置いて値上げ禁止
     ・公定価格制を実施
   (d) 米内光政内閣(1940(S15).1〜7)
    ◆米の供出制実施(強制出荷命令の発動)(1940(S15).4)
     ・食糧生産は1939(S14)年以後低下、食糧難深刻化 ←労働力不足、肥料不足
    ◆6大都市に米穀配給通帳制を実施(1940(S15).4)
   (e) 第2次近衛文麿内閣(1940(S15).7〜1941(S16).7)
    ◆生活必需物資統制令(1941(S16).4)…生活関連物資の生産販売統制令
    ◇大政翼賛会(1940(S15).10)…政党は解散・合同、上意下達機関として各種国民組織を支配
    ◇大日本産業報告会(1940(S15).11)…産業報国連盟と産業報告会との改組、労組は全解散
     ・産業報国連盟の結成(1938(S13).7)
       労資協調機関の協調会(半官半民)が中心となって資本家団体や労働組合幹部を集めて結成
     ・産業報国会の結成(1938(S13))…産業報国連盟の指導で各職場で結成、労働組合の一部も改組
     ・大日本産業報国会への改組(1940(S15).11)
       労働組合はすべて解散、労使一体による戦争協力体制、単位会数7万・組織人員418万人
 (3) 軍需品の生産拡大
  (a) 重化学工業中心の新興財閥のみならず、既存の大財閥系企業も軍需品生産拡大
   ・「国策」に協力する形で莫大な利益を得る(戦後の財閥解体の遠因)
   ・兵器の生産高:1936(S11)→6.4倍→1941(S16)→3.0倍→1944(S19)、1944年以降は空襲で生産低下
  (b) 実際には、品質の低下、工作機械の輸入途絶、大量生産の経験不足など、計画達成はなかなかできない
 (4) マス=メディアの統制
  (a) 内閣情報局の設置(1940(S15))
   ・新聞、出版物、演劇、ラジオ、映画などマス=メディアを総合的に統制し、戦争遂行に利用
 (5) 国民生活への圧迫
  A.要因・背景
   (a) 悪性インフレ ←赤字国債の大量発行(軍事費増大のため)
   (b) 物資の不足  ←軍需物資として消費、軍需産業への優先的割当
   (c) 食糧難    ←労働力不足・肥料不足による生産量の低下、軍需物資として消費
  B.生活物資の統制
   (a) 配給(通帳)制、切符制の実施
    ・綿糸配給切符制(1938(S13).3)
    ・ガソリン切符制(1938(S13).5)
    ・砂糖、マッチの切符制(1940(S15).6)
    ・6大都市に米穀配給通帳制(1941(S16).4)
    ・木炭配給通帳制・酒切符制(1941(S16).5)
    ・食塩の通帳配給制(1942(S17).1)
    ・衣料品切符制、みそ・醤油の切符制配給(1942(S17).2)
    ・薪配給制の実施(1943(S18).5)
    ・砂糖の家庭用配給停止(1944(S19).8)
   (b) 「不急不要」の民需品の生産や輸入の制限
   (c) 国民に対する生活切り詰めの強要…スローガン「ぜいたくは敵だ」
    ・贅沢品の製造販売の禁止(七・七禁令、1940(S15).7.7)
    ・パーマネント廃止(1939(S14).6)
    ・国民服の制定(1940(S15).6)
  C.隣組制度(1940(S15))…大政翼賛会の末端組織、住人同士の相互扶助・相互監視を目的
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 ■9.第二次世界大戦


1.第二次世界大戦の勃発
 (1) ドイツの勢力拡大
  A.ドイツ、オーストリアを併合(1938(S13).3)、チェコスロヴァキアにズデーデン地方の併合を要求
  B.ミュンヘンでイギリス・フランス・イタリア・ドイツの代表が集まり会議開催(ミュンヘン会議、1938(S13).9)
   (a) イギリス、大幅な譲歩(ドイツの希望はほぼ容認)  → チェコスロバキア解体(1939(S14))
  C.ドイツ、日本との提携強化を計画…防共協定の軍事同盟への強化を提案
   (a) 陸軍は軍事同盟締結に賛成
    ・陸軍、日中戦争の収拾に苦慮(すでに泥沼化)
    ・満ソ国共でのソ連との衝突事件に惨敗
      張鼓峰事件(1938(S13).7〜8)…日本軍の死傷者1,440名
      ノモンハン事件(1939(S14).5〜9)…日本軍は壊滅的打撃、死傷者17,206名(損耗率32%)
   (b) 海軍・外務省は反対…戦争をもたらす可能性あり
   (c) 平沼騏一郎内閣(1939(S14).1〜8)は、この問題で閣内対立
  D.独ソ不可侵条約の締結(1939(S14).8.23)
   (a) 目的…ドイツはポーランド侵入・対英仏戦に備え、二正面作戦の不利を避けるため締結
   (b) 内容
    ・相互の領土の不可侵
    ・秘密協定の存在…両国は東欧における勢力範囲を協定 → ポーランド分割
   (c) 日本への影響
    ・ドイツ、日本との防共協定(日独伊三国防共協定)があるにもかかわらず締結 →
       → 平沼騏一郎内閣、方向を見失い退陣(「欧州は複雑怪奇」、8.28) → 阿部信行内閣成立
 (2) 第二次世界大勃発(1939(S14).9.1)
  A.ドイツ、ポーランド突如(宣戦布告なしで)侵入(1939(S14).9.1)
   (a) イギリス・フランス、対独宣戦布告(1939(S14).9.3)=第二次世界大戦勃発
  B.ドイツの展開
   (a) デンマーク、ノルウェーの占領(1940(S15).4)
   (b) オランダ、ベルギーの占領(1940(S15).5)
   (c) フランスの降伏(1940(S15).6)  → ヴィシー政権樹立(ドイツの傀儡政権)
  C.ソ連の展開
   (a) ドイツと相まってポーランド侵入、分割  ←独ソ不可侵条約の秘密協定
   (b) バルト3国(リトアニア、ラトヴィア、エストニア)を併合(1940(S15).7)


2.欧州大戦と日本
 (1) 北進政策の挫折
  A.日ソ紛争における日本の惨敗…ソ連軍(兵力急増中)に対する日本の小手調べ
   (a) 張鼓峰事件(1938(S13).7〜8)…日本軍は満ソ国境の張鼓峰で惨敗、死傷者1,440名
   (b) ノモンハン事件(1939(S14).5〜9)
    ・日本軍は満州国とモンゴルの国境付近のノモンハンで機械化部隊に壊滅的打撃を受ける
    ・死傷者17,206名(損耗率32%)
     ※日本軍は日露戦争以後、本格的近代地上戦(戦車対戦車戦など)を体験していない
  B.独ソ不可侵条約の締結(1939(S14).8.23) → 平沼騏一郎内閣、方向を見失い退陣(8.28)
 (2) 対独提携の強化、南進政策への転換
  A.方針転換の理由
   (a) 対ソ戦闘に相次ぎ惨敗…張鼓峰事件(1938(S13).7〜8)、ノモンハン事件(1939(S14).5〜9)
   (b) 軍需物資(石油、ゴム、ボーキサイトなど)の獲得の必要  ←アメリカの経済封鎖の影響
    ・アメリカ、日米通商航海条約の廃棄を通告(1939(S14))以後は一層困難化
     ※アメリカへの依存度(金額)…機械類2/3、石油3/4、鉄類2/3
   (b) 南方植民地が宗主国を喪失…ドイツはオランダを占領、フランスを降伏させる
    ・オランダ…インドネシアの宗主国
    ・フランス…仏領インドシナを支配
   (c) 仏領インドシナ・ビルマ経由の蒋介石援助ルート(援蒋ルート)の遮断 ←日中戦争の打開
    ・主な援蒋ルート…仏印ルート、ビルマルート、新彊ルートなど
   (d) ナチス=ドイツの快進撃
 (3) 欧州大戦への日本の対応
  A.阿部信行・米内光政内閣(いずれも総理大臣も海軍穏健派)…欧州大戦への不介入方針
   (a) 阿部信行内閣(陸軍大将・穏健派、1939(S14).8〜1940(S15).1)…欧州大戦不介入方針
    ・アメリカ、日米航海通商条約の廃棄通告(1939(S14).7) → 翌年、発効
   (b) 米内光政内閣(海軍大将・穏健派、1940(S15).1〜7)…欧州不介入方針、軍事同盟締結には消極的
    ・軍部はドイツ・イタリアとの軍事同盟を希望、新体制運動を提唱する近衛文麿に期待し、米内内閣を
     を打倒(1940(S15).7)
  B.第2次近衛文麿内閣(1940(S15).7〜1941(S16).7)…不介入方針の大転換
   (a) 外務大臣に松岡洋右を起用
   (b) 組閣に先立ち、欧州大戦不介入方針の転換、ドイツ・イタリアとの提携強化、南進政策を決定
   (c) 国内政策
    ・大政翼賛会の発足(1940(S15).10)…総裁は総理大臣(近衛文麿) ←近衛の新体制運動の結実
   (d) 対外政策
    ・日独伊三国同盟(日独伊三国軍事同盟)の締結(1940(S15).9)…アメリカを仮想敵国とする軍事同盟
      日独伊三国防共協定(1937(S12))が発展
      1) 独・伊のヨーロッパにおける、日本の東アジアにおける指導的地位の承認
      2) 3国はいずれか現在戦っている以外の第三国(仮想敵アメリカ)から、攻撃された場合は
        経済的・軍事的に相互に援助
    ・蘭印(オランダ領東インド)と物資取得交渉の開始(1940(S15).9)
    ・北部仏印(フランス領インドシナ)への進駐開始(1940(S15).9)
      アメリカ・イギリスはさらに態度硬化 → アメリカは石油・屑鉄の対日輸出を制限、中国援助強化
                       (すでにそれ以前から戦略物資は入試困難になっている)
    ・日米交渉の開始(1941(S16).4)…駐日大使野村吉三郎と国務長官ハルとの交渉
    ・日ソ中立条約の締結(1941(S16).4)…外務大臣松岡洋右
      相互不可侵、第三国との戦争の際の中立維持、有効期間5年
      ソ連は対ドイツ戦に備え、当方の安全を確保しておきたい
      松岡洋右(日ソ中立条約、日独伊三国同盟を背景にアメリカを屈服させたい)は日米交渉に否定的
       第3次近衛内閣では松岡は罷免(近衛はアメリカとの戦争は避けたい)
    ・対米英戦覚悟の南方進出と、情勢有利の場合のソ連攻撃を御前会議で決定(1941(S16).7.2)
      独ソ戦の開始(1941(S16).6)に対する対応
    ・関東軍を70万人に増強、関東特種演習(関特演)の実施(南進計画のため9月中止)


3.新体制運動の推進…中心人物:近衛文麿
 (1) 目的…戦争遂行のための国民の組織作りの必要性
 (2) 目標…ナチスや共産党のような強力な一国一党の指導政党を中心とする新しい政治体制を確立
 (3) 中心人物…近衛文麿(貴族院議長) → 第2次近衛文麿内閣成立(軍部は近衛に期待)
 (4) 政治面の展開  → 影響は様々な方面に及ぶ
  A.近衛文麿、貴族院議長を辞し、「新体制運動」推進の決意表明(1940(S15).6)
   (a) 政党や各団体は積極的に、あるいはやむをえず解散して参加表明
   (b) 軍部は近衛に期待して米内光政内閣を倒す  → 第2次近衛文麿内閣成立(1940(S15).7)
  B.大政翼賛会の発足(1940(S15).10)  ←諸政党は解散してこれに参加
   (a) 官製の上意下達機関として発足 ←近衛が目指したナチス流の政治組織(一国一党)にはならない
    ・理由…精神右翼の反発(政党が政権をにぎることは天皇大権をおかすという理由)
   (b) 組織
    ・総裁:総理大臣(当初は近衛文麿)、支部長:都道府県知事
    ・下部組織:大日本産業報国会、大日本婦人会、大日本青少年団、部落会、町内会、部落会(隣組)
   (c) 翼賛選挙の実施(1942(S17).4、東条英機内閣)…軍部に賛成する候補を政府が推薦(応援)
    ・状況  推薦候補 :466名中、当選者381名(当選率81.8%)
         非推薦候補:613名中、当選者 85名…鳩山一郎、尾崎行雄、芦田均など
    ・以後、議会は全く無力化(政府提案に承認を与えるだけ)
    ・ただし、憲法や議会活動が停止されることはなし
   (d) 翼賛政治会の結成(1942(S17).4)…当選議員のほとんどが参加、戦時中唯一の政治結社
   (e) 大日本産業報国会、大日本婦人会、大日本青少年団などの結成…諸団体を統合


4.戦時下の教育文化
 (1) 教育・社会の動向
  A.「国体の本義」の作成(文部省、1937(S12).4) → 全国の学校・官庁に配布
   (a) 国体の尊厳(天皇中心の国家体制の正当性と永遠性)を説く
  B.教学局の設置(1937(S12).7)…文部省思想局を拡充、「臣民の道」などを編集
  C.皇紀二千六百年記念式典の実施(1940(S15).11.10) → 各地で記念行事実施
  D.小学校を「国民学校」と改称(1941(S16).4)   …→1947(S22)年小学校に再び名称変更
   (a) ナチス=ドイツの教育制度を模倣
   (b) 皇国民の錬成を目指す国家主義的教育を推進
    ・皇国史観にもとづく歴史教育を実施
    ・教科名を国民科、理数科、体錬科、芸能科に変更
    ・義務教育を8年に延長(実施されず、戦後まで1907(M40)年以来6年のまま)
  D.「皇民化」政策の推進…朝鮮や台湾の人々に対する同化政策
   (a) 学校・公的機関での日本語教育の徹底
    ・改正朝鮮教育令(1938(S13))…日本と同じ学校の名称、同じ教科書、同じ教育方針、日本語教育
   (b) 創氏改名(1940(S15)〜)…姓名を日本風に改めることを強制
   (c) 神社崇拝の強制、日の丸掲揚、宮城遙拝など
   (d) 徴兵制の実施(1943(S18)〜) ←志願制
   (e) 従軍慰安婦
 (2) 学術研究・出版活動の弾圧
  A.矢内原事件(1937(S12).12、第1次近衛文麿内閣)
   (a) 東京帝大教授矢内原忠雄、政府の植民地政策を批判して著書が発禁処分となる、矢内原は自発的退職
     (戦後東大に復帰、総長となる)
  B.人民戦線事件(1937〜38(S12〜13)、第1次近衛文麿内閣)
   (b) 反ファッショ人民戦線を企てたとして、1937(S12)年に加藤勘十・山川均・鈴木茂三郎らを、
     1938(S13)年に大内兵衛・有沢広巳・美濃部亮吉らを治安維持法違反で検挙
  C.河合栄治郎の休職(1939(S14)、平沼騏一郎内閣)
   (a) 東大教授河合栄治郎、自由主義的経済学説を攻撃され、著書が発禁処分に、大学は休職
  D.津田左右吉筆禍事件(1940(S15)、米内光政内閣)
   (a) 早稲田大学教授津田左右吉、日本古代史の実証的研究が皇室の尊厳を傷つけるものとして、国粋主義
     者によって著書「神代史の研究」ほか3冊が発禁処分となり、起訴
  E.横浜事件(1942(S17).9、東条英機)…細川嘉六や「中央公論」「改造」の記者が検挙、両誌は廃刊
 (3) 宗教界の弾圧
  A.宗教団体法の制定(1939(S14).4)…既成宗教団体の整理統合、新興宗教団体の規制を実施
  B.宗教界の弾圧事件
   (a) 大本教
   (b) ひとのみち教団…不敬罪で起訴、解散(1936(S11)) →PL教団として再建(1946(S21))
   (c) 創価教育学会…治安維持法・不敬罪で弾圧(1943(S18)) →戦後、創価学会として再建
 (4) 論壇の動向
  A.1930年代後半
   (a) 日本浪漫派の登場…亀井勝一郎、保田与重郎ら、反近代と民族主義を唱える文芸評論を発表
  B.戦時中の動向…全体主義の思想が主流化、東亜新秩序論・大東亜共栄圏論・統制経済論などが論じられる
 (5) 文学界の動向
  A.昭和初期の文学
   (a) プロレタリア文学
    ・プロレタリア文学運動の解体(1930年代前半)…官憲の弾圧と転向
    ・転向文学の登場…中野重治「村の家」、島木健作「生活の探求」、など
   (b) 新感覚派
  B.戦時中の文学
   (a) 日本文学報国会の結成(1942(S17))…文学者を戦争協力に動員、会長徳富蘇峰
   (b) 戦争文学の登場
    ・火野葦平「麦と兵隊」(1939)
    ・石川達三「生きてゐる兵隊」(1938)
   (c) 戦争協力を拒否、あるいは執筆に没頭する作家
    ・谷崎潤一郎「細雪」(1943〜)
    ・徳田秋声「縮図」(1941)
    ・堀辰雄「風立ちぬ」(1936)
    ・宮本百合子「杉垣」(1939)
    ・石川達三「生きてゐる兵隊」(1938)…日本軍の残虐行為を書き発禁
 (6) 芸術界の動向
  A.シュールレアリズム・抽象画などの新しい傾向が成長
  B.大東亜戦争美術展(第1回、1942(S17).12)
  C.日本美術報国会(1943(S18))…画家らを戦争協力に動員、会長横山大観
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 ■10.太平洋戦争


1.太平洋戦争への経過
 (1) 第2次近衛文麿内閣(1940(S15).7〜1941(S16).7)…欧米大戦不介入方針の大転換
  A.組閣にあたって
   (a) 外務大臣に松岡洋右を起用
   (b) 組閣に先立ち、欧州大戦不介入方針の転換、ドイツ・イタリアとの提携強化、南進政策を決定
  B.国内の政策
   (a) 大政翼賛会の発足(1940(S15).10)…総裁は総理大臣(近衛文麿)  ←近衛の新体制運動の結実
  C.対外政策
   (a) 日独伊三国同盟の締結(1940(S15).9)…アメリカを仮想敵国とする軍事同盟
    ・日独伊三国防共協定(1937(S12))が発展
    ・内容
      1) 独・伊のヨーロッパにおける、日本の東アジアにおける指導的地位の承認
      2) 3国はいずれか現在戦っている以外の第三国(仮想敵アメリカ)から、攻撃された場合は
        経済的・軍事的に相互に援助
      ・軍事的に相互に援助
   (b) 北部仏印(フランス領インドシナ)への進駐開始(1940(S15).9)
    ・蘭印(オランダ領東インド)と物資取得交渉の開始(1940(S15).9)
      アメリカ・イギリスの態度硬化 → アメリカは石油・屑鉄の対日輸出を制限、中国援助強化
   (c) 日米交渉の開始(1941(S16).4)…駐日大使野村吉三郎と国務長官ハルとの交渉
   (d) 日ソ中立条約の締結(1941(S16).4)…外務大臣松岡洋右
    ・相互不可侵、第三国との戦争の際の中立維持、有効期間5年
    ・ソ連は対ドイツ戦に備え、東方の安全を確保しておきたい
    ・松岡洋右(日ソ中立条約、日独伊三国同盟を背景にアメリカを屈服させたい)は日米交渉に否定的
      ※第3次近衛内閣では松岡は罷免
   (e) 対米英戦覚悟の南方進出と、情勢有利の場合のソ連攻撃を御前会議で決定(1941(S16).7.2)
    ・独ソ戦の開始(1941(S16).6)に対する対応
    ・関東軍を70万人に増強、関東特種演習(関特演)の実施(1941.8、南進計画のため9月中止)
     ※御前会議…緊急かつ最重要の国事決定に際し大本営政府連絡会議が天皇臨席で催された場合の呼称
          主な出席者:参謀総長(陸軍)、軍令部総長(海軍)、首相、外相、蔵相、内相、企画院総裁
 (2) 第3次近衛文麿内閣(1941(S16).7〜10)
  A.第2次近衛内閣、外相松岡洋右を排除するために一度総辞職して再組閣 → 第3次近衛内閣成立
   (a) 松岡外相は対ソ戦を主張、近衛は日米交渉の決裂を恐れる
  B.陸軍、南部仏印(フランス領インドシナ)進駐を開始(1941(S16).7)…対日経済封鎖の打開
   (a) アメリカの対応…アメリカの態度硬化、日米関係の緊迫化
    ・在米日本人の資産凍結(1941(S16).7)
    ・対日石油禁輸(1941(S16).8)…日本にとっては致命的な措置
      ※アメリカへの依存度(金額)…機械類2/3、石油3/4、鉄類2/3
   (b) 「ABCD包囲陣(包囲網)」で対日経済封鎖の強化
    ・A(America)、B(Britain)、C(China)、D(Dutch or Dutchland)の日本包囲網
  C.「帝国国策遂行要領」の決定(1941(S16).9.6の御前会議)
   (a) 内容…10月上旬までに対米交渉がまとまらない場合は対米(英・蘭も)開戦を決定
    ・アメリカの要求…満州を除く中国からの日本軍の全面撤退、日独伊三国同盟の死文化
      → 10月半ばになっても交渉はまとまらず(日本はこの条件を呑めない)
    (b) 近衛と陸軍大臣東条英機との対立 → 内閣総辞職(1941(S16).10)
    ・首相近衛文麿…日米開戦は避けたい
    ・陸相東条英機…日米交渉は打ち切り、開戦を主張
 (3) 東条英機内閣(1941(S16).10〜1944(S19).7)
  A.内大臣木戸幸一、9月6日の御前会議の決定を白紙還元を条件に東条英機を首相に推挙
   (a) 陸相東条英機、陸相兼任のまま内閣を組織
   (b) 御前会議の決定は再検討するも結論は同じ
    ※首相の推挙は元老が行うが、最後の元老たる西園寺公望が死去したので、以後は木戸内大臣を中心に
     首相経験者で構成される重臣会議の合議で行われるようになった
  B.対米英開戦の最終決定(1941(S16).11.5の御前会議)
   (a) 最終決定内容…12月1日までに対米交渉が妥結しなければ、対米英開戦開始
  C.ハル=ノートの提示(1941(S16).11.26)…アメリカの強硬な覚書
   (a) ハル四原則…領土主権の尊重、内政不干渉、機会均等、太平洋現状維持
   (b) 内容…満州事変勃発以前の状態への復帰を要求(以前よりも内容が強硬、日本は絶対に呑めない)
    ・満州を含む中国、仏印からの全面的無条件撤兵
    ・日独伊三国同盟の破棄
    ・満州国、汪兆銘(南京)政権の解消
   (c) 日本の対応…アメリカの最後通牒とみなし、最終的に開戦決定(12.1の御前会議)
    ・アメリカはあえて受け入れられないものを出してきた=交渉を続ける気はない → 戦争しかない
  D.日本軍、真珠湾(ハワイ・オハフ島)を奇襲、米英に宣戦布告(1941(S16).12.8)
   (a) オランダにもこの後、宣戦布告
   (b) 政府、戦争名を支那事変をふくめて、「大東亜戦争」に決定
    ・「太平洋戦争」(The Pacific War)の呼称はアメリカ側が使用、戦後、GHQが使用して定着
     (GHQは「大東亜戦争」という呼称は使用禁止にした)
   (c) ドイツ、イタリアも日独伊三国同盟によってアメリカに宣戦


2.太平洋戦争の展開
 (1) 枢軸側の攻勢(1941(S16)〜1942(S17))
  A.日本…開戦当初は圧倒的優勢(わずか3ヶ月で東南アジアのほぼ全域を制圧)
   (a) 真珠湾(ハワイ・オハフ島)のアメリカ大平洋艦隊を奇襲、米英に宣戦布告(1941(S16).12.8)
    ・真珠湾攻撃は戦術的には大勝利だが、戦略的には疑問 → 「Remember Pearl Harbor
    ・同時に台湾からフィリピンを攻撃
    ・同時にイギリス領マレー半島にも上陸
    ・マライ半島沖で、イギリス東洋艦隊の主力を全滅させる(マレー沖海戦、1941(S16).12.10
   (b) 香港 → マニラ占領(1942(S17).1)、シンガポール占領(1942(S17).2.15)
   (c) ジャワ島のオランダ軍降伏(1942(S17).3)
   (d) コレヒドール要塞(ルソン島)のアメリカ軍降伏(1942(S17).5)
    ・フィリピンの陥落、マッカーサー、フィリピン脱出
  B.欧州戦線
   (a) 独ソ戦開始(1942(S17).6)…ドイツは独ソ不可侵条約を廃棄、モスクワにせまるも停頓
  C.日本の緒戦優勢の理由
   (a) 開戦の準備が整っている…人員・物資配置、訓練、新兵器開発を含む
    ・アメリカは準備不十分(日本が太平洋を越えて攻撃するとは思っていない)
   (b) 植民地駐留軍は、本国軍に比べて、質・量ともに劣勢
  D.日本の植民地政策…東条英機内閣の政策
   (a) 東南アジア地域の植民地を独立させる…宗主国からの独立と引き替えに、日本は支配権を確立
    ・日本軍による現地の歴史や文化を無視した政策(日本軍の目的はあくまで資源獲得)
      日本語教育の実施、神社参拝の強要、強制労働、集会の禁止
      日本に連行され強制労働に従事した中国人約4万人、死者約7,000人
    ・残虐行為…中国、シンガポール、マレーシアなど
   (b) 戦争捕虜への虐待
    ・泰緬鉄道の建設(1942(S17))…タイ・ビルマ間の軍用鉄道、捕虜6万8000人と東南アジアからの労務
                   者30万人を投入、多数の死者
    ・「バータン死の行進」…バータン半島から捕虜約7万8400人を徒歩で移動させる、食料・水不足で約1
               万6000人余りのフィリピン兵・市民、アメリカ兵が死亡
   (c) 大東亜会議の開催(1943(S18).11)…独立させた植民地の代表者を東京に集めて会議開催
    ・参加…ビルマ、満州国、中華民国、日本(東条英機)、タイ、フィリピン、インド国民軍(チャンドラ=ボース)
    ・内容…「大東亜共栄圏」の結束を誇示、欧米植民地からのアジアの脱却をうたう
      実際には占領地域の戦争協力体制の確立
    ・大東亜共同宣言を採択(1943(S18).11.6)
   (d) 抗日運動の展開   → 戦後は宗主国の軍と抗戦して独立を達成
    ・中国共産党は解放区(抗日のための根拠地)を組織してゲリラ戦を展開、日本軍は大掃討作戦を展開
      中国側は「三光作戦(焼光(焼き尽くす)、殺光(殺し尽くす)、搶光(奪い尽くす))」として非難
    ・仏印、フィリピンなど各地で抗日運動激化
  E.日系アメリカ人の処遇
   (a) アメリカ西海岸地域に住む日系アメリカ人は強制収容所に収容 →アメリカは1980年代に謝罪と補償
   (b) ドイツ系、イタリア系アメリカ人についてはこのような措置は執られず
 (2) 連合軍の反抗(1942(S17)〜)
  A.日本…ミッドウェー海戦(1942(S17).6.5)を転機に形勢逆転
   (a) 戦局
    ・ミッドウェー海戦(1942(S17).6.5)…日本は一度に4隻の空母を喪失
    ・ガダルカナル島撤退(1943(S18).2.1)
    ・アッツ島(アリューシャン列島)玉砕(1943(S18).5.29)
    ・サイパン島(マリアナ群島)陥落(1944(S19).7) → B29による本土空襲の本格化(同年.11〜)
    ・神風特別攻撃隊の出撃(1944(S19).10)…飛行機に爆弾を抱いて体当たり攻撃
    ・硫黄島陥落(1945(S20).3) → B29に護衛戦闘機随伴(迎撃の困難化)
    ・アメリカ軍、沖縄本島上陸(1945(S20).4) → 陥落(同年.6)
      軍人・軍属(鉄血勤皇隊、ひめゆり隊を含む)約9万4,000人、一般住民約9万4,000人が死亡、
      マラリアや餓死者、強制的な集団自決者多数(県民の死亡総数は県人口の1/3に達する)
   (b) 国内政治
    ・東条英機内閣崩壊(1944(S19).7)  ←サイパン島の陥落
    ・小磯国昭内閣の成立(1944(S19).7〜1945(S20).4)…小磯国昭・米内光政の連立内閣
      小磯国昭(陸軍大将)・米内光政の連立内閣(海軍大将)による連立政権
  B.欧州戦線
  B.欧州戦線
   (a) 30万のドイツ軍、スターリングラードで全滅(1943(S18).2) → ソ連による反抗開始
   (b) アメリカ・イギリス軍、アフリカ制圧(1943(S18))…ドイツのロンメル将軍を破る
   (c) イタリア降伏(1943(S18).9)…ムッソリーニ政権の崩壊
   (d) カイロ会談(1943(S18).11) → カイロ宣言   <内容は後述>
    ・参加者…ルーズヴェルト(米大統領)、チャーチル(英首相)、蒋介石(中国国民党政府総統)
   (e) 連合軍、北部フランスに上陸(ノルマンディー上陸作戦、1944(S19).6) → パリ解放(.8)
   (f) ヤルタ会談(1945(S20).2) → ヤルタ協定(秘密協定、この段階では公表されず)
    ・参加者…ルーズヴェルト(米大統領)、チャーチル(英首相)、スターリン(ソ連書記長)
   (g) ソ連軍、ベルリン突入(1945(S20).4)
   (h) ヒトラー自殺、ドイツ無条件降伏(1945(S20).5) →第二次世界大戦の枢軸国陣営は日本だけになる
   (i) ポツダム会談(1945(S20).7) → ポツダム宣言(7.26)…日本の無条件降伏を呼びかけ


3.国民生活の崩壊
 (1) 国内状況
  A.軍需生産の増強と停滞
   (a) 民需工場(繊維工場など)の軍需工場への転換
   (b) 学徒動員の開始(1942(S17).6)…中学校・高等女学校の生徒を軍需工場に動員
    ・未婚の女子も女子挺身隊に編成して軍需工場に動員
   (c) 朝鮮人の強制連行…朝鮮人や占領下の中国人を日本に連行して鉱山などで働かせる
    ・女性の中には従軍慰安婦として戦地で働かせられた人もある → 従軍慰安婦問題
   (d) 生産量の減少、品質の低下  ←兵器生産は1944(S19)年までは増加
    ・資材不足  ←制海権・制空権喪失による物資輸送困難
    ・空襲による工場の破壊
    ・熟練工の不足、など
  B.兵員の確保
   (a) 学徒出陣開始(1943(S18).12)…大学・高等専門学校に在学中の徴兵適齢文化系学生を召集
   (b) 植民地における徴兵制の実施   ※植民地における志願兵制度は1938年から実施されていた
    ・朝鮮:1943(S18)年実施、台湾:1945(S20)年実施 →召集された人々は補償なし(日本国民ではない)
    ・危険な仕事に優先して配置
      捕虜収容所の監視要員など(戦後、BC級戦犯として責任を問われる)
      東南アジアでの農業指導員など
    ・朝鮮籍軍人・軍属約24万人、台湾籍軍人・軍属約21万人
   (c) 本土決戦に備え、竹槍訓練開始 ←国民総武装が閣議決定(1944(S19).8)
 (2) 生活の崩壊
 (2) 生活の崩壊
  A.物資不足・食糧不足…ヤミ物資、ヤミ取引の横行
   (a) 綿糸配給切符制(1938(S13).3)
   (b) ガソリン切符制(1938(S13).5)
   (c) 砂糖、マッチの切符制(1940(S15).6)
   (d) 6大都市に米穀配給通帳制(1941(S16).4)…成人1日2.3合(330g) →代用品の増加、回数減少
   (e) 木炭配給通帳制・酒切符制(1941(S16).5)
   (f) 食塩の通帳配給制(1942(S17).1)
   (g) 衣料品切符制、みそ・醤油の切符制配給(1942(S17).2)
   (h) 薪配給制の実施(1943(S18).5)
   (i) 砂糖の家庭用配給停止(1944(S19).8)
  B.B29による本土爆撃の激化  ←サイパン島陥落(1944(S19).7)、硫黄島陥落(1945(S20).3)
   (a) 当初は軍需工場を攻撃対象にしていたが、戦意喪失を狙い都市を無差別爆撃
   (b) 疎開の開始…家屋の強制取り壊し、軍需工場の地方移転、老人・婦女子の縁故による地方疎開
    ・学童疎開(集団疎開)の開始…国民学校高学年生の地方への集団疎開


4.敗戦
 (1) 日本に対する戦争処理会議
  A.カイロ会談(1943(S18).11)
   (a) 参加者…ルーズヴェルト(米大統領)、チャーチル(英首相)、蒋介石(中国国民党政府総統)
   (b) 主な議題
    ・対日戦争方針の決定…日本の無条件降伏まで戦い抜く
    ・日本の無条件降伏を要求
    ・日本の領土剥奪…満州、朝鮮、台湾、南洋など
   (c) カイロ宣言
    ・日本が第一次世界大戦以来奪取した大平洋の島々をとり上げる
    ・満州・台湾など中国から奪った地域を中国に返還
    ・中国を自由・独立の国とする
  B.ヤルタ会談(1945(S20).2)    ※ヤルタ…クリミア半島
   (a) 参加者…ルーズヴェルト(米大統領)、チャーチル(英首相)、スターリン(ソ連書記長)
   (b) 主な議題
    ・対独戦争処理問題
    ・国際連合の創設
    ・ソ連の対日参戦の決定(アメリカの要請)…日ソ中立条約(1946年4月まで有効)の破棄を米英が承認
      代償としての樺太・千島のソ連への譲渡、旅順・大連のソ連継承、満鉄の中ソ共同経営など
      ソ連はドイツ降伏の2・3ヶ月後に対日参戦
   (c) ヤルタ協定の締結(秘密協定、1947(S22)公開)
    ・日本はこの事実を知らず、戦争終結をソ連に依頼
  C.ポツダム会談(1945(S20).7)     ※ポツダム…ドイツのベルリン郊外
   (a) 参加者…トルーマン(米大統領)、チャーチル(後アトリー、英首相)、スターリン(ソ連書記長)
   (b) 主な議題
    ・戦後のドイツ処理案
    ・対日最終作戦  → 日本に無条件降伏を要求
    ・日本の戦後処理案
   (c) ポツダム宣言(1945(S20).7.26)…日本の無条件降伏を呼びかけ
    ・米、英、中(同意のみ、会談には参加せず)の3国の共同宣言(のちにソ連も参加)
    ・全文13条(第6〜13条が日本への戦争終結の条件)
    ・日本の戦争終結の主な条件
      軍国主義の駆逐(第6条)
      領土の限定(第8条)
      日本軍の武装解除(第9条)
      日本の民主化、戦争犯罪人の処罰(第10条)
      日本の無条件降伏(第13条)
 (2) 日本の敗戦
   (a) 硫黄島陥落(3.1) → B29に護衛戦闘機随伴(迎撃の困難化)
   (b) B29による東京大空襲(3.9)…約300機による空襲、1700屯の焼夷弾、10万以上の死者、東京は廃墟
    ・以後敗戦までに、焼失家屋143万戸(都市住宅の1/3)、死者20万人、負傷者27万人
   (c) 沖縄戦(3〜6.22)…日本軍9万人余りの死者、非戦党員の死者は10万人
    ・アメリカ軍、沖縄本島上陸(1945(S20).4.1) → 陥落(同年.6)
      軍人・軍属(鉄血勤皇隊、ひめゆり隊を含む)約9万4,000人、一般住民約9万4,000人が死亡、
      マラリアや餓死者、強制的な集団自決者多数(県民の死亡総数は県人口の1/3に達する)
    ・小磯国昭内閣退陣(1945(S20).4) → 鈴木貫太郎内閣の成立
   (d) ドイツ降伏(1945(S20).5)…日本の孤立、世界(連合国は世界のほとんどの国)を相手に戦争状態
   (e) ポツダム宣言(7.26)…米・英・中、日本に無条件降伏を呼びかけ
    ・日本はしばらくの間、黙殺
   (f) 広島に原子爆弾投下(8.6)、長崎に原子爆弾投下(8.9)……20万以上の非戦党員を殺傷
   (g) ソ連、日ソ中立条約を破棄し、日本に宣戦(8.8) → 満州、樺太、千島に進軍
    ・ソ連仲介による戦争終結(日本にとっての最後の望み)は不可能が明確化
   (h) ポツダム宣言の受諾を決定(8.15) → 敗戦(終戦、8.15)
   (g) 東京湾に停泊中の戦艦ミズーリの上で、降伏文書に調印(9.2)=第二次世界大戦の終結
  B.内政
   (a) 鈴木貫太郎内閣の成立(1945(S20).4) ←小磯国昭内閣
    ・戦争終結を期待される  → ソ連を仲介して和平工作を進展
   (b) ソ連、日ソ中立条約を破棄し、日本に宣戦(8.8)…最後の戦争終結の望みが絶たれる
   (c) 最高戦争指導会議の開催(8.10、8.14)
    ・最高戦争指導会議の設置(1944(S19).8)…国務と統帥の一元化を図るため設置
      構成員…首相、外相、陸相、海相、参謀総長、軍令部総長の計6名で構成
      1945(S20)年4月から戦争終結問題について討議
    ・意見対立  → 天皇が裁断(ポツダム宣言受諾、8.14)
      ポツダム宣言受諾を主張…外相、海相
      本土決戦に望みを託して戦争継続を主張…陸相、参謀総長、軍令部総長
   (d) 天皇自ら敗戦を国民に放送(8.15)
   (e) 東京湾に停泊中の戦艦ミズーリの上で、降伏文書に調印(9.2)
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