| ■江戸時代(江戸幕府の成立〜寛永期の文化) | |||
■江戸時代■
(その1)1.江戸幕府の成立 2.封建的身分制度の確立 3.江戸幕府の外交 4.寛永期の文化 5.文治政治への転換 6.経済の発達 7.元禄文化 8.幕藩体制の動揺 9.享保の改革 10.寛政の改革 11.列強の日本接近 12.天保の改革 13.化政文化 14.開国・開港 15.討幕運動 16.幕末の社会と文化
| ■1.江戸幕府の成立 |
1.江戸幕府の成立
(1) 徳川家康の統一過程
1542(天文11) 家康、松平広忠の子として生まれる 1547〜1560 織田氏、のちに今川氏の人質となる → 桶狭間の戦(1560)で今川より独立 1562(永禄5) 織田信長と同盟 1564(永禄7) 三河平定、一向一揆平定 1566(永禄9) 徳川氏と改姓 1582(天正10) 本能寺の変(織田信長の暗殺) 1584(天正12) 小牧・長久手の戦(秀吉と和睦、服従)、浜松から駿府に移る 1590(天正18) 北条氏滅亡後、関東に入部
・知行地250万石(直轄地100万石、家臣150万石) ※豊臣秀吉:約220万石
・家臣団統制、江戸城拡張、城下町建設に励む、2度の朝鮮出兵には出陣せず1596(慶長元) 内大臣に就任 1598(慶長3) 秀吉の死、以後、家康は伏見城にて政務を担当 → 五奉行(秀吉子飼の大名)と対立 1600(慶長5) 関ヶ原の戦 → 東軍大勝、西軍の大名らことごとく改易・減封 →家康の覇権確立 1603(慶長8) 右大臣、征夷大将軍に就任 → 江戸幕府、名実ともに完成 1605(慶長10) 将軍職を秀忠に譲る 1607(慶長12) 駿府へ隠退、大御所と称す…政治の実権は依然として家康が握る 1614(慶長19) 大坂冬の陣 ←方広寺鐘名事件(「国家安康、君臣豊楽、子孫殷昌」) 1615(元和元) 大坂夏の陣、豊臣氏(豊臣秀頼、淀殿ら)の滅亡 → 元和偃武の到来 1616(元和2) 太政大臣就任、死去
(2) 江戸幕府の成立過程(家康〜秀忠〜家光)
1600 関ヶ原の戦に勝利 → 徳川氏の覇権確立 1603 家康、征夷大将軍に就任 → 江戸幕府、名実ともに完成 1605 家康、将軍職を秀忠(2代)に譲る(以後も大御所として実権を握る、〜1616) 1615 大坂の冬・夏の陣…豊臣氏の滅亡 一国一城令…大名の居城を一つに限る 武家諸法度(元和令) 1616 家康の死 1617 大名らに領知の確認文書発給…全国の土地領有者としての地位明示 1619 福島正則、武家諸法度違反で改易…年功の外様大名も処分 1623 秀忠、将軍職を家光(3代)に譲る(以後、大御所として実権を握る) 1632 秀忠の死、 家光、肥後の加藤氏(外様)を処分 1634 家光、30万の軍勢を率いて上洛 ←大名は領知石高に応じ軍役賦課 1635 武家諸法度(寛永令)…参勤交代の義務化 1639 鎖国の完成 → 幕藩体制の確立 1651 家光の死、由井正雪の乱などの発生 → 文治政治への転換
■関ヶの戦(1600) (1) 関ヶ原の戦いへの経過
1600.6 家康、石田三成と通謀する上杉景勝を討つために伏見から江戸へ向かう 三成、檄をとばし毛利輝元・宇喜多秀家・島津義弘らの秀吉恩顧の西国大名を味方とす 1600.7 三成、伏見城を落とし(伏見城炎上)、東上開始 家康、兵を返し、加藤清正、福島正則、黒田長政らの武断派大名を味方に西上 1600.9 美濃の関ヶ原で衝突 → 東軍の大勝(小早川秀秋の寝返り) 西軍の大名らことごとく改易(領地没収)、減封(領地削減) (2) 対立の構図…秀吉の死後、武断派(家康ら)と文吏派(石田三成ら)の対立
【西軍】 兵力8万5000 VS 【東軍】 兵力10万4000 石田三成(五奉行) 徳川家康(五大老) 毛利輝元(五大老) 加藤清正 宇喜多秀家(五大老) 福島正則 島津義弘 黒田長政 小西行長 (上杉景勝) (五大老) 小早川秀秋(五大老) →寝返り (3) 結 果
《西軍(敗者)》…91家440万石余りを改易、4家221万石を減封
石田三成 →斬首
小西行長 →斬首
毛利輝元 →領国6カ国減少、長門と周防の2国(現山口県)のみとなる(130万石→37万石)
宇喜多秀家 →改易の後、八丈島に配流
上杉景勝 →減封され、会津から米沢に転封(以後も減封が続く)
※関ヶ原で島津氏・毛利氏が辛酸を嘗めたことが(薩長の)討幕運動の原動力となる
《東軍(勝者)》…没収した領地の配分によって譜代大名創出→幕藩体制の基礎確立
2.大名の統制
(1) 武士の種類
A.大名・旗本・御家人(直臣、直参)
(a) 大名…直参(将軍直属の家臣)で石高1万石以上のもの
・江戸中期以降ほぼ260〜270家
・1万石(最小)〜102万石(最大、加賀前田家)、5万石未満が多数
(b) 旗本…直参で御目見得(将軍への拝謁)を許される石高1万石未満のもの
・5205人(1722(享保7))
・江戸初期においては知行地を与えられたが(知行取)、のちに俸禄制に切り替わる
(c) 御家人…直参で御目見得できないもの
・17,399人(1722(享保7))
・大部分が蔵米取(俸禄制)
B.陪臣…大名・旗本・御家人の家臣(当然、御目見得はできない)
(a) 中には知行地が1万石を超える者あるが、陪臣であるため低い地位に甘んじる
C.武家奉公人(仲間、足軽、小者など)…大名・旗本・御家人とその陪臣たちの従僕
D.牢人(→浪人)…主君のいない、失業中の武士
(2) 大名の種類(格式)…大名同士でも厳格な格式付けあり
A.将軍との親疎による種類
(a) 親藩…徳川氏一門の大名(準ずる者を含めて幕末に約20家)
・御三家
尾張、紀伊、水戸の3家
親藩中最高位、将軍の後継ぎを出しうる(例:吉宗(8代)・家茂(14代)←紀伊から)
・御三卿
田安・清水(吉宗による)、一橋(家重による)の3家
大名の扱いは受けない(領知をもたない)が、御三家とともに将軍の後継ぎを出しうる
(将軍の血筋が絶えたとき、吉宗の血筋を後継ぎとし、御三家から出させないために設定)
(b) 譜代…関ヶ原の戦の以前から徳川氏に従っていた大名(旧来からの徳川氏の家臣)
・中小規模の大名が多い(最大:井伊氏35万石(彦根))…もともとから徳川氏の家臣(身内)のため
(c) 外様…関ヶ原の戦の以後に徳川氏に従った大名(新しく家臣に組み入れた戦国大名)
・大規模な大名が多い(最大:前田氏 100万石(加賀))…もとは徳川氏のライバルの戦国大名B.領分による家格
1690年 1868年(幕末) 親 藩 21家 → 23家 譜 代 123家 → 145家 外 様 99家 → 98家
C.江戸城中の座席による家格
(3) 大名の統制
A.大名統制の概念…いかに外様大名を押さえるか
(a) 江戸幕府にとっての身内、非身内
・江戸幕府の身内…親藩、譜代、旗本、御家人
将軍直属の家臣で昔から徳川氏に従ってきた者+徳川氏のの血縁者
幕政(幕府の政治)を担当(幕政の中枢は譜代)
・江戸幕府の非身内…新しく徳川氏の支配下に入った者(元は敵対する戦国大名)
外様 → 幕政にはほとんど参加させてもらえない、統制の主たる対象
(b) 統制の方法…改易(領地没収)、減封(領地削減)、転封(国替え)
(c) 幕府に従わざる大名は、親藩・譜代であっても改易
・末期養子の禁の違反
・武家諸法度違反による処罰
福島正則(外様、広島50万石、減封)
本多正純(譜代、宇都宮15万石、改易)、
大久保忠隣(譜代、小田原6万石、改易)
・その他…松平忠輝(家康6男、改易)、松平忠直(秀忠の甥、改易)
B.大名の配置
(a) 親藩、譜代を要地に配置…関八州、畿内、東海道、中山道など
(b) 親疎を隣り合わせ、その間に天領を配置
C.武家諸法度
(a) 元和令(1615)、寛永令(1635)以後は将軍の代替わりごとに発布、少しずつ修正
(b) 内容は政治道徳上の訓戒、治安維持規定、儀礼規定など
(c) 違反者には厳罰…たとえ、親藩・譜代であっても改易、減封
・城の無断修築…福島正則(外様、広島50万石、減封)、本多正純(譜代、宇都宮15万石、改易)
・無断婚姻…大久保忠隣(譜代、小田原6万石、改易)
(d) 主な武家諸法度
・元和令(1615)…事実上、家康の制定、金地院崇伝の起草、全13条
政治道徳上の訓戒
文武奨励(1条)、遊楽禁止(2条)、倹約奨励(12条)、家老らの人選(13条)
治安維持規定
犯罪者隠匿の禁止(3条)、謀叛人・殺害人の追放(4条)
他国人の追放(5条)、居城の修理・新造の禁止(6条)
隣国の徒党上訴(隣国の不穏な動きについて幕府に申し出ること)(7条)
儀礼規定…無断婚姻禁止(8条)、参勤の作法(9条)、衣装の統制(10条)、乗輿の制限(11条)
・寛永令(1635)…家光(3代)の制定
元和令を継承
参勤交代の制度化(2条)
500石積み以上の船の築造の禁止(17条) ←鎖国政策との関連
・天和令(1683)…綱吉(5代)の制定
末期養子の許可、殉死制の禁止
・以後の武家諸法度はほとんど変化なし
D.参勤交代…幕府はかたくなに実施
(a) 武家諸法度寛永令(1635)で制度化 → 吉宗(8代将軍)の上米の制で一時緩和 →
→ 幕末まで存続(慶喜(15代将軍)が一部緩和)
※上米の制(吉宗)での緩和…江戸在府1年半、国許半年
※慶喜による緩和…3年に一度の参勤交代
(b) 内容
・大名は江戸と国許を1年ごとに交替
ただし水戸藩・役付きの大名は江戸常住、関八州の大名は半年交替
・大名の妻子は人質として江戸に居住
(c) 目的と影響
・大名の財政負担の増大…莫大な道中費用、江戸と国許との二重生活(二重出費)
・江戸、宿駅の繁栄
E.その他
(a) 一国一城令(1615)…城を大名の居城一つに限定し、他の破壊を命じる
※結果、下津井城は廃城、天城藩主(とはいえ岡山藩の支藩だが)の池田由成は天城に拠点を移す
(b) 婚姻政策
・大名間婚姻の許可制 ←武家諸法度
・有力外様大名(伊達、前田氏ら)と積極的な婚姻政策
・末期養子の禁止 → 違反者は改易(綱吉のときに緩和)
(c) 軍役…石高に応じて兵馬を常備
・1649年の制:1万石の大名…人235人、鉄砲20、弓10、旗3、槍30、馬10
1000石の旗本…人 21人、鉄砲1、弓1、槍2
(d) 手伝…土木工事を実施させ財力を削ぐ、「お手伝い」「御手伝普請」とも言う
・江戸城、大坂城、名古屋城、篠山城などの築城・修築(「天下普請」)
・大河川の治水工事 例:薩摩藩による千本松原の築堤(長良川・木曽川)
■【実際の大名の収入は?】
3.江戸幕府の政治機構
(1) 幕府の政治機構
A.幕府職制の成立過程…江戸幕府の職制は家光期に完成
(a) 家康・秀忠期…戦国的側近政治の継続
・三河以来の門閥譜代(大久保忠隣、酒井忠世、土井利勝ら)
・天海(天台僧)・崇伝(臨済僧)、林羅山(儒学者)、茶屋四郎次郎(商人)
(b) 家光期…江戸幕府の職制の完成期(1635頃)
B.江戸幕府の職制※三奉行…寺社奉行、勘定奉行、町奉行
※評定所…最高裁判所に相当(老中、三奉行、大目付の合議)
※職の種類…番方(軍事)、役方(行政)、無役(職務なし)
※無役(結構多い)…城壁修理の人足を提供する義務 → 小普請金を上納
C.政治機構上の特徴 ※鎌倉幕府・室町幕府の職制
(a) 「庄屋仕立て」…三河の土豪時代の小さな組織を必要に応じて拡張、整備
(b) 軍事的、実際的色彩が強い…そのまま軍事編制として転用可能、老中の指揮の下出陣
(c) 将軍の独裁的色彩が濃い
・幕府の要職は複数の役職者を配置、月番制と合議制を採用(権力集中が起こりにくい)
(d) 行政官と司法官の区別を欠く…評定所(最高裁判所に相当)は老中、三奉行、大目付の合議
(f) 監察機関の発達
(2) 経済基盤…他大名(とくに外様)に対して圧倒的に強力経済力(過去のどの政権に対しても)
A.直轄地(幕領・天領):400万石(17世紀末) ←全国の石高約2500万石(17世紀末)
(a) 比較…最大の外様大名:加賀前田家の102万石
※旗本知行地300万石をさらに加える考え方もある
(b) 由来…旧来の領地(250万石)+諸大名の改易・減封+豊臣氏の領地(蔵入地)の没収+新田開発
※なお、天領は米作・商業地帯、重要鉱山地域に集中
B.主要鉱山の直轄…相川金山(佐渡)、大森銀山(石見)、但馬生野銀山(但馬)など
※江戸初期は日本は世界有数の銀産出国(金も)
C.主要都市の直轄…江戸・京都・大坂(三都)、長崎・堺(港町)、奈良・山田(門前町)など
D.主要街道の直轄…五街道(東海道、中山道、甲州道中、日光道中、奥州道中)などを
E.貨幣鋳造権の独占
F.貿易…朱印船貿易(江戸初期) → 出島貿易(鎖国後)
G.商人からの冥加金・御用金
4.藩制の成立
(1) 「藩」…大名の領地とその支配機構
(2) 藩の支配…幕府政策の範囲内で独自の支配
(3) 藩の職制…藩によって異なる、基本的には幕府の職制の縮小版
A.家老以下、諸役人を配置
B.国元と江戸詰の二重構造 → 支出も二重苦(とくに江戸の負担が重い)
(4) 藩の経済基盤
A.年貢米…普通は四公六民 (のちに五公五民)
B.さまざまな方法で収入増をはかる ←支出増大による財政困難の打開のため
(a) 特産品の奨励、専売制の実施
(b) 新田開発
(c) 鉱山開発
(5) 藩士
A.藩政を分担
B.基本的に城下町に集住
C.藩士の数…1万石につき235人(1649年の規定)=軍役における動員数と同じはず
D.藩士の収入
(a) 地方知行制…一定の知行地を家臣に与えるもの、江戸後期には減少
(b) 蔵米取(俸禄制)…知行地をもたないかわりに蔵米(俸禄米、扶持米、切米)を支給するもの
※藩財政の窮乏・藩主の支配権強化のため、により17世紀半ば以降ほとんど俸禄制に移行
5.朝廷の統制
(1) 天皇・公家の領地…必要最低限の領地
A.皇室の領地…計約10万石
(a) 禁裏御料(1万石→2万石(秀忠、1623)→3万石(綱吉、1705))…天皇の領地
(b) 仙洞御料(1万石)…院の領地
(c) 新院(7000石)
(d) 中宮(3000石)
(e) 女御(2000石)
(f) 宮家(伏見、有栖川、桂、閑院の4親王家)の領地(計6000石)
B.公家の領地…計約4万石余り
(a) 堂上方(摂家5、精華9、大臣家3、羽休家28、名家84)の領地
(b) 地下人(6位以下)の領地
(2) 朝廷の統制
A.京都所司代の設置…朝廷の監視、二条城に設置
B.摂家(関白・三公)に朝廷統制の主導権を持たせる
※三公…太政大臣、左大臣、右大臣
C.武家伝奏の設置
(a) 公家から2名選出、役料あり
(b) 京都所司代と連絡を取りながら、朝廷に幕府の指示を伝える
D.公家衆法度(5条)の制定(1613)…公家の学問の奨励、風俗の粛正など
E.禁中並公家諸法度(17条)の制定(1615)
(a) 起草…金地院崇伝
(b) 内容…朝廷の権限を儀礼的機能に限定、ことあるごとに幕府への許可を求める
・天皇の学問専念(1条)
・摂関・三公(太政大臣、左大臣、右大臣のこと)などの任命について(4条)
・武家の官位は公家の官位制の枠外(7条)
・改元の基準(8条)
・紫衣勅許・上人号勅許の制限(16条) →紫衣事件に発展(1627)
※天皇の行幸…慶安期を除いて幕末までなし
※公家の他行(外出)…武家伝奏を通じて届出制(たとえ醍醐や吉野への花見であっても)
F.徳川氏との婚姻関係の設定…秀忠の娘和子(東福門院)を後水尾天皇の中宮として入内(1620)
※これを機に官位制度、改元、改暦(最後に残された朝廷の権限)にも幕府の承諾を必要とする
6.寺社の統制
(1) 寺社の領地…計約40万石
A.朱印地(将軍家からの寄進地)
B.黒印地(大名・旗本からの寄進地)
C.除地(免税地)
(2) 神社の統制
A.寺社奉行の設置
(a) 寺社奉行の下、多くの神社は吉田・白川家が支配
B.諸社禰宜神主法度(1665)
(3) 寺院の統制
A.寺社奉行の設置
B.諸宗寺院法度(1665) ←寺院法度(1601〜)…起草者:金地院崇伝
C.本山・末寺の制…宗派の中心寺院である本山を中心に、寺院を末寺として階層的に組織化
D.檀家制度(寺請制度)…キリスト教、日蓮宗不受布施派の禁教のため
(a) 人々すべてをいずれかの寺院に帰属させ、そこの檀徒(檀家、檀那)であることを証明させる
(b) 檀家制度の実施にあたり、宗門改めの実施 → 宗門改帳(宗門人別帳、宗旨人別帳)の作成
(c) 檀那寺の取り扱い…檀那寺が役場の戸籍係的役割を負う
・出生・死亡の届出、旅行・移住・結婚の報告、墓・法要・位牌・過去帳の管理など
(4) 仏教の堕落…個人の信仰としての役割の喪失→宗教活動の中心は葬式・供養(法事)となる(現在も)
A.収入源の保証(領地の寄進、檀家制度ほか)
B.社会的地位の保証(本山・末寺の制、檀家制度ほか)
C.新しい宗派の設立の禁止(諸宗寺院法度)
■紫衣事件(1627) ◇紫衣勅許
(a) 僧侶に紫の法衣の着用を認め、紫衣を与えること
(b) 本来は天皇の権限、かつ重要な収入源(天皇に残された最後の権限というべきもの)
→ 禁中並公家諸法度で幕府の許可制となる
◇背景…幕府の統制に対する、後水尾天皇をはじめとする寺社・公家たちの強い不満
◇経過
・後水尾天皇、無断で大徳寺、妙心寺の僧侶ら数十人に紫衣勅許
・幕府、紫衣勅許の無効を命じる(1627)
・天皇、沢庵(大徳寺の僧)らの抗議 → 沢庵、出羽に配流
・幕府、紫衣の剥奪を強行
・憤って後水尾天皇退位(1629)、武家伝奏の更迭
→明正天皇(7歳、秀忠の孫、称徳天皇以来859年ぶりの女帝)即位 →幕朝関係改善
【戻る】
| ■2.封建的身分制度の確立 |
1.封建的身分の制度の確立
(1) 身分制度
A.「士農工商」
(a) 儒教的理念からみた社会への貢献の順位…「武士(士)」の絶対的優位
(b) 従来より存在した身分を、豊臣政権・江戸幕府が制度化
(c) 支配者としての武士に対する百姓・町人の不満をそらし、団結を防止
B.武士
(a) 種類…将軍を頂点に階層構造、武士の間でも大きな格差(b) 人口比…全人口の6〜10%
(c) 特権
・苗字・帯刀…身分の標識
・切捨御免
・四民の鑑としての行動の要求
例:「武士はは食わねど高楊枝(武士は空腹でも満腹したように装い楊枝を使う)」…やせ我慢
C.農民(百姓)…年貢の負担者
(a) 種類…百姓の間にも大きな格差(b) 人口・人口比
・全人口の80%以上
・江戸時代を通じて、2600〜2700万人前後であまり変化なし…構造的収奪対象、飢饉
(c) 地位
・武士以外では、工・商の上の身分…年貢負担者として私生活にまで強い統制
D.職人・(家持)町人
(a) 種類…町人の間にも大きな格差(b) 人口比…全人口の7〜10%
(c) 地位
・実際の社会的地位は百姓より高かったとみられるが、儒教理念上、身分では下におかれた
・統制、経済的負担は百姓と比べて緩やかであった
E..その他(四民に属さない者)
(a) 教化階級(公家、僧尼、神官、医者など)…社会的には支配階級
(b) 賤民層…四民との同居や婚姻の禁止、居住場所の指定、髪型・服装の指定
■【牢人と浪人、君はどっち?】
(2) 家族制度
A.「家」の重視…個人の幸福よりも「家」の利益(例えば家名)の優先
B.家長の絶対的な権威…家父長的家族制度の確立
(a) 勘当…父親の権限
(b) 長子単独相続の一般化 → 「厄介」者、武士ならば部屋住みの身
C.男尊女卑
(a) 「三従の教」…家にあっては父、嫁にしては夫、夫死して後は子に従うこと
・江戸時代、女性(とくに武家)に要求された徳目
(b) 夫の側からの一方的離縁…結婚は「家」のためのもの
・夫からの離縁…離縁状(三行り半)に適当な理由を付ければよい、事実上無制限に可能
※七去(離縁してよい理由)…舅に従わない、無子、多言、窃盗、淫乱、嫉妬、悪疾
・妻からの離縁…基本的に不可能、縁切寺の寺法による離縁を期待するのみ
※縁切寺…東慶寺(鎌倉)、満徳寺(上野)、いずれも尼寺
(c) 女性の財産相続上の差別…武家では跡目相続権なし
(d) 「腹は借り物」…血統保存のためには妾は可(子が産まれないとき妻は妾を紹介)
(3) 社会に蔓延する封建的意識…社会生活は常に上下関係の確認作業 → 分をわきまえる
A.身分…身分の上下、格式の重視 → 言葉遣い、手紙の書式などに差
B.主従関係
(a) 武士…主君−家臣
(b) 百姓…地主−小作人
(c) 工人…主人−奉公人
(d) 商人…親方−徒弟
C.家族関係
(a) 「家」の重視
(b) 家長の絶対的な権威
(c) 男尊女卑
■明治時代になって強化された男尊女卑 ◇家父長的家族制度や男尊女卑は明治になって解消されたのか? 否!
【江戸時代】
・すべての身分で家父長の権限絶対的であったり、男尊女卑であったわけではない
確かに、武士の間では厳しかった
地域や身分によっては異なっていた…例:桐生・足利(上野)の農村
【明治時代】
・江戸時代の武士のしきたりに法的な裏付けを与えた上で、全国民に普及させた
◇家父長的家族制度や男尊女卑は明治になって、全体的にむしろ強化された!
2.農村と農民の統制
(1) 近世の村落
A.江戸時代の村落数:約6万3000(17世紀末)
B.村落の増加…惣村や郷村の分割、新田開発による開村など
C.村落の種類…農村(大多数)、漁村、山村、在郷町など
(2) 村の自治…惣村に比すれば権限は小さいが
(a) 名主、組頭、百姓代を中心に村方三役(村役人)を中心に本百姓が自治
・入会地の共同利用、用水・山野の管理、治安、防災など
※名主…関西では庄屋、東国では肝煎と呼ぶところが多い
※地方三役…関東では名主・組頭・百姓代、関西では庄屋・年寄・組頭の組み合わせが多い
・百姓間の格差
(b) 村入用の徴収
(c) 村法(村掟)の存在
(d) 五人組の編成…連帯責任、相互検察(犯罪、キリシタン)、隣保共助 <後述>
(e) 年貢の納入…名主が年貢の割当・納入に責任、村で一括して実施(村請制)
(f) 支配組織
(3) 貢祖
A.貢租の収納
(a) 村請制…村の自治を利用して年貢や諸役の割り当てや収納を実施(割当、収納の責任は名主)
B.貢租の内容
(a) 本途物成(本年貢)…貢租の基本
・本田畑と屋敷に賦課、村請制で納入
・租率は初め検見法(後に定免法)で、収穫高の40〜50%(四公六民、五公五民)を米(一部貨幣)で納入
・付加税として口米、欠米
(b) 付加税
・村高に対して課する付加税(宿駅の交通設備、幕府の倉庫・人足の費用など)
・米納 → 銭納
(c) 小物成…雑税
・田畑以外の山野、河海からの収益や副業に対して付加される雑税
・現物納か、銭納
(d) 国役…一国単位でかけられる臨時課税
・幕府が河川の土木工事、日光の法会、朝鮮使の接待の費用に対する臨時税
・銭納
(e) 伝馬役(助郷役)…労役 ←江戸時代、夫役はほとんどない(高掛物、国役が夫役に相当)
・街道沿いの村々(助郷)から宿駅に応援の人馬を出す
(4) 百姓の統制…以下のものは天領のみに適用、ただし各藩でも同様であったと考えられる
A.統制の目的…すべては年貢納入者としての本百姓の維持のため
B.田畑永代売買の禁令(1643) …→ 1872(明治5)解禁
(a) 内容…田畑の永代売買の禁止 → 売った側も買った側も罰則は重い
※売買方法には永代売買、年限を限った売買がある
(b) 目的…百姓の階層分化の防止(本百姓の維持)
C.分地制限令(1673、1713ほか)
(a) 内容
・名主は20石、一般百姓は10石以上の田畑でないと分地できない(1673)
・分割後の保有田畑が石高で10石以上、反別(面積)で1町以上でないとできない(1713)
※幕府は本百姓の最低規模を石高で10石、面積1町以上と考えていた
(b) 目的…零細農民の出現を防止、年貢納入の確保
D.田畑勝手作の禁 …→1871(明治4)解禁
(a) 本田畑(検地帳に記載された田畑)で五穀(米・麦・黍・粟・豆)以外の作物の栽培禁止
(b) 新田畑(検地帳に未記載の田畑)で商品作物を栽培するのは黙認
※米を作っても年貢として多くは取られてしまうので、百姓は商品作物を栽培して現金収入を得る
ことに熱心であった。
E.慶安の触書(32箇条、1649)…最近はこの年に出されたかどうかは疑問視する考えがある
(a) 性格
・寛永年間の初年からたびたび出された生活制限令の集大成
・年貢負担者としての本百姓の生活の維持
(c) 内容…百姓の衣食住の細部にまで規制
・百姓としての日常生活のあり方…領主・代官、村役人への服従、勤勉・倹約
・衣類・食生活の規制…衣類は木綿に限定、酒・茶・煙草の禁止、食料の節約
・家族関係への干渉……百姓の妻のあり方まで規定(共稼ぎ、遊興好きの妻との離別を命じる)
F.五人組制度
(a) 年貢納入の連帯責任
(b) キリシタン(切支丹)、犯罪人などの相互監察 → 連帯責任
(c) 隣保共助
(5) 百姓の生活
A.相互協力
(a) 「結」・「もやい」の慣行…田植、稲刈、屋根葺き、婚礼、葬儀、井戸がえ(井戸掃除)など
(b) 用水、入会地の利用
(c) 宮座の結成
(d) 講の結成
(e) 若者組、娘組などの結成
B.相互規制
(a) 村掟・村極の制定 → 違反者には「村八分」
3.町人の統制
(1) 城下町
(a) 中心は城郭、その周辺に家臣の武家屋敷
(b) 武家地、寺社地、町人地の区別、身分ごとに居住する地域が異なる
・武家地…城郭の周辺、政治・軍事施設、家臣や足軽の屋敷、町の大部分を占める
※江戸の面積比:町人地20%、武家地(幕府関連施設+藩邸)60%、寺社地20%
・寺社地…寺院や神社が集中 例:尼崎の寺町地区
・町人地(町方)…狭い地域に多くの町人が住む、職業別で集住
(2) 町の運営
A.名主・町年寄・月行事らが町法(町掟)にもとづいて自治を行う
(a) 町政に参加できるレベル…町内に待ち屋敷を持つ家持ちの住人=町人(あくまで少数)
※町人…町人地に居住する人々全体をさす場合も多い
・年貢負担はない(田畑がないから)
・町人足役(夫役として)、金銭の負担…上下水道の整備、防火・防災などの都市機能維持の費用
(b) 町政に参加できないレベル
・地借…宅地を借りて家屋を自分で建てる(地代や店銭を地主に払う、それ以外は負担なし)
・借家・店借…家屋ごとやその一部を借りて住む(地代や店銭を地主に払う、それ以外は負担なし)
・奉公人…奉公先の商家に住む
B.江戸の町政…他の都市でも同様
C.治安組織の発達
(a) 各町には木戸があり、木戸番を配置
(b) 町人による自身番を設置
(c) 武士による辻番を配置
(3) 貢祖…百姓にくらべてはるかに緩やか、努力次第で豊かになれる可能性あり
A.冥加・運上…(営業税)…商工業の営業税、問屋運上・市場運上・酒屋冥加・質屋冥加など
B.地子銭…(宅地税)…土地・屋敷に賦課
C.御用金…(借入金)…幕府の借金、都市の御用商人に割り当て
D.町会費…町の自治運営費、都市機能維持の費用負担
(4) 町人の生活
A.城下町における商人町、職人町…身分、職業で居住地域限定(例:町人地、寺社地、武家地など)
(a) 商人町の例…米町、呉服町、魚町、塩町、紺屋町、材木町など → 地名として残る
(b) 職人町の例…桶屋町、鍛冶町、大工町、瓦町など → 地名として残る
B.棟割長屋
(a) 江戸の町人住居の典型、切妻の棟を割って両側に部屋を設ける、便所は共同
(b) 江戸の高人口密度の要因
C.商人・職人一人立ちへの道…年季奉公からスタート(無休、無収入が基本)
(a) 商人の例…丁稚(10歳頃〜) → 手代 → 番頭(使用人の頂点) → 暖簾分け(独立)
(b) 職人の例…徒弟 → 親方
D.生活格差
(a) 豪商…巨富を蓄え、遊楽にふける
(b) 貧民…人口比的には多数、日雇い・行商で日銭を稼ぐ、棟割長屋に居住、その日暮らし
【戻る】
| ■3.江戸時代の外交 |
1.江戸初期の外交
(1) 家康の外交方針…積極的な貿易政策
A.平和的な貿易の奨励
(a) 西欧諸国との南蛮貿易奨励
(b) 対朝鮮(国交回復)、対明貿易(国交回復ならず、私貿易として)の再開
B.日本人の海外渡航の奨励 → 朱印船貿易の開始
C.キリスト教については黙認(秀吉の禁教令を受け継いでいるが) …→晩年(1612〜)には方針変更
(2) 対外関係
A.オランダとの関係…幕府は貿易を大いに歓迎−布教を目的としない国々(カトリック教国ではない)
B.イギリスとの関係…幕府は貿易を大いに歓迎−布教を目的としない国々(カトリック教国ではない)
1600(慶長5) オランダの探検船リーフデ号、豊後に漂着 ヤン=ヨーステン(耶揚子、オランダ人)、ウィリアム=アダムズ(三浦按針、イギリス人)、
家康に重用1609(慶長14) 平戸へ入港、商館建設 1628(寛永5) 台湾を根拠地に貿易大幅拡大、浜田弥兵衛と台湾で紛争 → 解決(1633)
C.スペインとの関係
1613(慶長18) 平戸にジョン=セーリス来航、商館建設 1623(元和9) オランダとの競争に敗れ、商館を閉鎖して自主退去 →インド経営に専念
1624(寛永1) スペイン船の来航禁止 ←宣教師のマニラからの密航発覚
1597(慶長2) 家康、宣教師ヘズスを通じ、メキシコとの通商を求める 1610(慶長15) 前ルソン提督ドン=ロドリゴ(1909、上総に漂着)をノビスパン(現メキシコ)に派遣 商人田中勝介(日本人初のアメリカ大陸上陸)同行、貿易開始と鉱山技師派遣を要請 1613(慶長18) 伊達政宗、支倉常長をメキシコ経由で、ヨーロッパに派遣(慶長遣欧使節) →1620帰国 宣教師の派遣と通商条約の締結を求める → 実現せず 以後は、禁教の関係でかんばしくない 1624(寛永1) スペイン船の来航禁止 ←宣教師のマニラからの密航発覚
D.ポルトガルとの関係
E.明との関係…正式な国交はない、私貿易は盛ん
マカオから長崎に中国産生糸(白糸)を運んで巨利を得る(ほぼ独占状態) ↓ 利益は次第に減少…オランダ・イギリスの参入、日本船の中国船との出会貿易の開始 1604(慶長9) 糸割符制度の実施 → 貿易独占の崩壊 1610(慶長15) マードレ=デ=デウス号事件(有馬晴信、長崎で焼き打ち)で関係断絶 1611(慶長16) 貿易関係復活、しかしあまりかんばしくない 1639(寛永12) ポルトガル船の来航禁止 ←島原の乱(1637〜38)
朝鮮出兵(1592〜96、1597〜98)
家康、日明貿易復活に失敗(明の海禁政策)…国交回復ならず ←朝鮮・琉球を通じて交渉
私貿易の盛行 → 鎖国成立後も私貿易は継続
・明船の日本への来航
・日本船、東南アジアで中国船と出会貿易
明の滅亡(1644) → 明の遺臣鄭成功、台湾に逃れて清に抵抗(1661〜83)
・日本に援軍を求む(4回) → 幕府、拒否
F.朝鮮との関係
朝鮮出兵(1592〜96、1597〜98)
家康、対馬の宗氏を介して交渉、国交回復に成功 ←対馬の宗義智の努力、朝鮮の捕虜送還期待
1607(慶長12) 朝鮮使来朝 → 以後、将軍の代替わりごとに来朝(計12回)
・第3回までは文禄・慶長の役の朝鮮人捕虜の返還を目的とした使節
第1回1240名、第2回321名、第3回146名の捕虜を返還
・第4回から通信使(朝鮮通信使)と呼称…1回につき約300〜500人来日、文化人との交流、幕府は厚遇
来日の目的は新将軍就任の慶賀のためが半数を超える
瀬戸内海各地などに、文化交流の跡が残る 岡山の例:牛窓(本蓮寺、唐子踊り)
1609(慶長14) 己酉約条(慶長条約)の締結
・対馬から年20隻の貿易船(歳遣船)を派遣(貿易は宗氏が担当)、釜山浦に倭館を設け貿易
■糸割符制度(1604) ◇「糸割符」…輸入生糸の専売特権の証札
◇糸割符制度
A.内容
(a) 特定の商人が集まって糸割符仲間を結成
・糸割符仲間…京都、堺、長崎 → 江戸、大坂の参加(1631)=五カ所商人
・中国、オランダの参加(1633?)=五カ所商人の利益の減少 → 糸割符制度廃止(1655)
(b) 輸入生糸の価格を決定して幕府が一括購入(買い叩く)、その後に仲間の成員に配分
B.目的…ポルトガル(マカオを根拠地に明の生糸を日本に運び巨利を得る)の利益をそぐ
→ 目的は成功
C.経過
1604(慶長9) 糸割符制度の開始 1631(寛永8) 糸割符仲間に江戸、大坂の商人が参加…五カ所商人の成立 1633(寛永10) 糸割符仲間に中国、オランダが参加 → 五カ所商人の利潤減少 1655(明暦元) 糸割符制度の廃止 1684(貞享元) 糸割符制度の復活…国産生糸の発達(輸入する必要がない)のため重要性は薄い
■イギリス・オランダの台頭 15世紀末〜16世紀末 スペイン・ポルトガルの時代
16世紀末〜 イギリス・オランダの台頭 …→やげてオランダは脱落
《イギリス》
1588 スペイン無敵艦隊を破る…スペインとイギリスの勢力逆転
1600 東インド会社設立(半官半民の国策会社、植民地政策担い、貿易を独占)
《オランダ》
1581 スペインから独立
1602 イギリスに対抗し、東インド会社(イギリスとは別の組織)を設立
(3) 琉球王国、蝦夷地
A.琉球王国
(a) 薩摩藩の琉球支配
・1609(慶長14) 島津家久、琉球に出兵、国王尚寧を捕らえて征服、薩摩藩の支配下におく
・兵農分離の推進……検地、刀狩の実施 → 尚氏は8万9000石相当
・通商貿易権の掌握……支配の目的は琉球の貿易の利の収奪
・尚氏を王位に就かせて独立国の体裁をとらせ、中国との朝貢貿易を継続させる
琉球産の砂糖、明(→清)との朝貢貿易による中国の産品を献上
(b) 謝恩使・慶賀使の派遣
・使節には異国風の服装、髪型、旗、楽器を要求 ←「異民族」入貢という体裁のため(幕府の権威付け)
謝恩使…国王の代替わりごとに幕府に対して使いを派遣…就任への感謝のため
慶賀使…将軍の代替わりごとに幕府に対して使いを派遣…就任への奉祝のため
B.蝦夷地(江戸時代) ←…蝦夷ヶ島(室町時代)
(a) 松前氏の蝦夷地支配
・1604(慶長9)、松前氏(蠣崎氏が改称)、家康からアイヌとの交易独占権を保障(1万石の大扱)
・松前藩の藩制
米は全く収穫することができない
アイヌとの交易権が知行(商場知行制(場所知行制))
→ 商場・場所(アイヌとの交易対象地域)からの交易が収入
場所請負制度への移行(享保〜元文期・1716〜40)
商場の多くが藩士から和人商人の請負となり、藩士は運上金を受け取る
(b) アイヌの人々の抵抗
・1669(寛文9)、シャクシャインの戦い…シャクシャイン中心とするアイヌと松前藩の対立
松前藩、津軽藩の協力で鎮圧 → 以後、アイヌは松前藩に完全に服従
※コシャマインの戦い(1457)…和人とアイヌとの戦い→上ノ国の蠣崎氏のみもち堪え最終的に勝利
(c) 「昆布ロード」…江戸時代の蝦夷地−大坂−薩摩−琉球−清を結ぶ昆布交易
※現在でも沖縄県が昆布消費量日本一(昆布そのものを食す、他県は主にダシとして利用)
2.日本人の南方発展
(1) 朱印船貿易…秀吉政権期以後も日本人の海外渡航は盛ん
A.「朱印船」
(a) 幕府が与えた海外渡航許可の朱印状をもつ公認貿易船 ←幕府は貿易を奨励
(b) 1604(慶長9)〜1635(寛永12)年の約30年間に、350通以上の朱印状を発行(乱発気味)
・同数の朱印船が渡航、延べ人員は約10万人か
(c) 主な渡航地と貿易地
・中国沿岸方面(4カ所)…高砂(台湾)など
・マライ半島方面(11カ所)…トンキン、シャム、カンボジアなど
・南洋方面(4カ所)…ルソンなど
(d) 貿易家(105)…大半は商人だが、多岐にわたる
・大名(10)…島津家久、有馬晴信、松浦鎮信、亀井茲矩など
・幕吏(4)…末次平蔵(長崎<もと商人>)など
・商人(65)…角倉了以・茶屋四郎次郎(京都)、末吉孫左衛門(摂津平野)、荒木宗太郎(長崎)など
・中国人(11)
・ヨーロッパ人(12)…ウイリアム=アダムズ、ヤン=ヨーステンなど
B.貿易品目
(a) 輸入品目…いずれも贅沢品 …→鎖国可能
・生糸・絹織物、砂糖、鹿皮、鮫皮…アジア産(主要品)、中国船との出会い貿易による
・ラシャ…ヨーロッパ産
(b) 輸出品目…銀、銅、鉄、硫黄、樟脳、米、刀剣、屏風
※銀は世界の1/3を産出(新鉱山の開発、精錬法の改良)、ヨーロッパは銀が通貨
(2) 日本町の形成
A.「日本町」の形成 ※「日本人町」にあらず
(a) 日本移民だけの集落、東南アジアに8カ所 → 単なる居住地は約20カ所におよぶ
(b) 必ずしも朱印船渡航地は限らない…日本船が間接的に運行
(c) 数百〜数千人の居住(海外移住者全体は7000〜1万人か)、貿易商人が主
(d) 有力者が選ばれて町政を担当し、自治制をひく
B.主な日本町
(a) ツーラン、フェフォ…コーチ(交趾)<現ベトナム>
(b) ピニヤルー、プノンペン…カンボジア
(c) アユタヤ…シャム<現タイ>
(d) アラカン…ミャンマー
(e) ディラオ、サン=ミゲル…ルソン島
C.代表的人物
(a) 山田長政…駿河出身、アユタヤの日本町の長、六昆太守に任命
・シャム国の最高官オヤ=セナビモクに任命、のち政争に巻き込まれ毒殺
(b) 林喜右衛門…フェフォ
3.鎖国政策
(1) 鎖国の要因…キリスト教禁教、幕府による貿易統制
A.キリスト教の禁教の強化…キリスト教は幕府支配に対する障害になりうることを懸念
(a) スペイン、ポルトガルの領土獲得の野心(オランダの中傷も加わる)
(b) キリスト教徒の急速な増加
・フランシスコ会、アウグスチノ会、ドミニコ会宣教師の相次ぐ来日
・3万人(1570) → 10万人(1579) → 15万人(1582) → 20万人(1587) → 75万人(1605)
(c) キリスト教徒の団結力の強さ
・島原の乱(1637〜38)…キリシタン農民の組織的かつ強力な抵抗 → 幕府は鎮圧に苦心
B.幕府による貿易の統制(貿易の利潤を幕府が独占)
(a) 貿易によって西国大名や有力商人の富豪化を懸念
(b) 貿易の利潤を幕府が独占
(c) 商工業の発達によって農業生産を基礎とする封建社会の基礎が揺らぐことを懸念
両者を中心に、幕府権力の強化・確立をはかる …→ 鎖国の完成=幕府支配の完成
(2) 経過…鎖国は1日にしてならず
A.大まかな経過
(a) 1635(寛永12)の鎖国令III(日本人の渡航禁止)をもって一応完成
(b) 島原の乱(1637〜38) → さらに厳しい措置の必要性
(c) 1639(寛永16)の鎖国令V(ポルトガル船の来航禁止)をもって完全に完成
B.経過
年 号 内 容 1604(慶長9) 糸割符制度…ポルトガルの利益を削ぐことに成功 1612(慶長17) 天領における切支丹の禁 1613(慶長18) 全国にわたる切支丹の禁 1614(慶長19) 宣教師・信徒(高山右近など140余名)をマカオ・マニラに追放 1616(元和2) ヨーロッパ船の入港地を平戸・長崎に限定 1622(元和8) 秀忠、外国人宣教師らを処刑(元和の大殉教 1624(寛永元) スペイン船の来航を禁止 1626(寛永3) 踏み絵始まる(1628説、1629説) 1630(寛永7) 禁書令 1633(寛永10) 奉書船以外の日本船の海外渡航の禁止 鎖国令I 1634(寛永11) 海外往来通商の制限 鎖国令II、長崎に出島を築造 1635(寛永12) 日本船の海外渡航、日本人の帰国を全面禁止 鎖国令III
明船の寄港を長崎に限る1636(寛永13) 出島にポルトガル人を移住、ポルトガル人の子孫追放 鎖国令IV 1637(寛永14) 島原の乱(〜38) 1639(寛永16) ポルトガル船の来航禁止 鎖国令V…事実上鎖国の完成 1640(寛永17) 天領に宗門改役、寺請制度 1641(寛永18) オランダ人を出島に移住 ※1633(寛永10) 奉書船以外の日本船の海外渡航の禁止(鎖国令I)
・奉書…一種の出国許可証、老中が発行、これを有する貿易船を奉書船という
・以後、海外渡航には朱印状のほか、奉書も同時に必要となった ←海外渡航を制限
朱印状…渡航許可証、奉書…出国許可証
■戦国期〜江戸初期の外交関係 ◇鎖国は本当に鎖国か?
少なくとも鎖国(国を閉鎖)したわけではない
(1) 外国との外交関係は続いている、拒絶したのはポルトガル、スペイン
(2) 日本人の海外渡航は禁止
幕府の支配強化政策の一環として捉えるべき
(1) キリスト教の禁教
(2) 貿易統制◇「鎖国」の由来
ドイツ人蘭館医師ケンペル(日本滞在1690〜92)が著述した「日本誌」を、オランダ通詞志筑忠雄が
「鎖国論」と題して抄訳(1801)
(3) 鎖国の影響
A.幕藩体制の強化(メリット)
(a) 幕府の統制力の安定…キリスト禁教、貿易統制
(b) 平和が続き(他国の戦争に巻き込まれない)、国内の文化が成熟した
B.近代化の遅れ(デメリット)
(a) 世界の発展から取り残される
(b) 海外発展の機会の喪失
■島原の乱(島原天草一揆、1637〜38) ◇要因
(a) 島原藩主松倉重政・勝家、天草藩主寺沢広高の過酷な年貢の取り立て
(当地方は1634(寛永11)年以来凶作)
(b) 多数のキリシタン牢人の存在 ←有馬晴信・小西行長の遺臣
◇経過
◇性格…天草四郎時貞を盟主にキリシタン牢人が農民を扇動して蜂起させた百姓一揆
1634〜 島原、天草地方では凶作が続く 1637 過酷な年貢の取立て → 天草四郎時貞を盟主にキリシタン牢人が百姓を扇動 ※天草(益田)四郎時貞…小西行長の遺臣益田好次の子(16歳) 1637.11 島原の農民蜂起、天草の農民蜂起 → 幕府は板倉重昌を派遣 蜂起農民38000人は原城に立てこもり抵抗 → 老中松平信綱を派遣、12万の兵をもって包囲、兵糧攻め 1638.2 → オランダ船に援護射撃を要請 原城陥落 → 指導者4名を長崎に、参加者1万数千人を原城外にさらし首 ※幕府の鎮圧経費39万8000両
※江戸時代はキリスト教徒の宗教反乱ということにした(統治失敗の言い逃れ)
◇影響
・鎖国政策の一層の強化…日本人の海外渡航禁止(1635) → ポルトガル船来航禁止(1639)
・百姓一揆の変化…武装蜂起を伴う中世的な一揆 → 代表越訴型などの江戸時代的一揆へ
4.長崎(出島)貿易の展開
(1) 鎖国前後の長崎貿易の経過
1634(寛永11) 出島を築造 1636(寛永13) 出島にポルトガル人を移住させる → ポルトガル人来航禁止(1639) 1637(寛永14) 島原の乱 1639(寛永15) ポルトガル人の来航禁止…鎖国の完成 1641(寛永18) オランダ商館を出島に移し、移住させる 1644(正保元) 「オランダ風説書」の初め 1655(寛文元) 糸割符制度の廃止 ←オランダ、中国の参加による五カ所商人の利益減少 1685(貞享2) 糸割符制度の再興 貿易額の制限…清船:銀6000貫目、オランダ船:銀3000貫目 1688(元禄元) 清船入港数を70隻に限定、長崎に唐人屋敷を造り、翌年、市中の中国人を収容 1697(寛政9) 清船入港数を80隻に限定 1700(元禄13) 清船8隻、オランダ船5隻に制限 ※一時期、荻原重秀は積極策に転じる 1715(正徳5) 新井白石、海舶互市新例(長崎新令、正徳新令)の制定 ・貿易額の制限…清船:30隻6000貫目、オランダ船:2隻3000貫目
・銀・銅の海外流出防止 → 俵物の輸出奨励
(2) 鎖国完成後の貿易
A.オランダ、中国との貿易は拡大 ←貿易額は鎖国のため一度は減少
B.幕府は貿易を制限(1680頃〜)…1700年頃、荻原重秀が積極策を採ったこともあるが…
(a) 国内の生糸生産の拡大…中国産生糸輸入の必要性の減少
(b) 国内の銀、銅の海外流出の防止…海舶互市新例(1715)、新井白石
・貿易の支払いは銀や銅で行われた(この頃になると銀の産出は減る、銅の産出は最盛期)
・銀、銅のかわりに俵物(フカヒレ、いりこ、干し鮑)の輸出を推奨
※オランダ船も中国船も日本国内に持ち込むものは、生糸・絹織物が主で余りかわりない
(3) 長崎(出島)貿易
A.貿易港と貿易商人
(a) オランダ人
・長崎の出島(扇形の人工島、3969坪(131.21a))に限定、生活も島内に限定
※出島は本来、ポルトガル人のための人工島(来航禁止以後、オランダ人を移す)
・甲比丹=(オランダ)商館長
1年交替、(ほぼ)毎年1回将軍に拝謁
海外事情報告書「オランダ風説書」の提出…幕府にとって唯一の海外事情
甲比丹の江戸参府や長崎貿易での通訳は、オランダ通詞が行う
(b) 中国人
・当初は長崎市中に居住、1688(元禄元)年に長崎に唐人屋敷を造り、翌年収容
B.貿易品目…オランダ船も中国船も日本への貿易品はあまりかわりない
(a) 輸入品目…生糸・絹織物(以上中国産)、書籍、綿織物、毛織物(以上ヨーロッパ・中国産)、
砂糖、蘇木、香木、獣皮(以上南洋産)など
(b) 輸出品目…銀、銅(←銀)、海産物など、(陶磁器)
【戻る】
| ■4.寛永期の文化 |
1.江戸文化理解のために
(1) 文化の担い手…武士と町人 → 国民的広がり
(2) 文化の勃興期…基本的に4期に分けて理解
A.寛永期の文化(17世紀前半)
(a) 幕藩体制にふさわしい武家の文化…儒学の発達など
(b) 桃山文化の継承…担い手は京都の上層商人層
B.元禄文化(17世紀後半〜18世紀前半)
(a) 町人文化の発達
C.宝暦・天明期(18世紀後半)
D.化政文化(19世紀初め)
(a) 庶民層への文化浸透
(b) 文化の爛熟、退廃的傾向
■江戸時代の文化を理解するために ◇基本的に4期に分けて学習(教科書によっては多少の違いはあるが)
◇幕府の政策と文化との関連…文化に必要なものは「暇」と「金」【江戸時代の文化のイメージ】
2.寛永期の文化
(1) 文化の特色
A.特色
(a) 幕藩体制にふさわしい武家の文化
・儒学の発達など
(b) 桃山文化の継承
・王朝風の華麗な文化…京都の町人好み
・担い手は京都の上層商人層
B.時期…寛永年間(1624〜44)を中心とする時期…幕藩体制の確立期(3代将軍家光の治世)
(2) 儒学(朱子学)の発達
A.幕府による朱子学の保護 ←鎌倉時代に伝来、鎌倉五山において発達
(a) 保護の理由…支配者である幕府にとって好都合の学問
・君臣・父子の別をわきまえ、上下の秩序を重んじ、大義名分を明らかにする学問内容
B.主な学者
(a) 藤原惺窩(1561〜1619)
・もと相国寺の僧、仏教→儒教へ専念、幕府へは仕官せず
・儒学の、仏教(鎌倉五山)からの独立を唱える
(b) 林羅山(道春、1583〜1657)
・もと建仁寺の僧、藤原惺窩の弟子、日本的な朱子学を確立
・家康に用いられて幕府の文教政策にたずさわる(1605〜)
・上野忍丘(現在の上野動物園あたり)に家塾を開設 → 昌平坂学問所に発展
(3) 建築
A.霊廟建築…華麗な霊廟建築の出現、霊廟建築(神社+寺院+墓)
(a) 日光東照宮(下野日光)…家康を権現(神)としてまつる霊廟、創建(1617)、家光が改築(1634〜36)
・陽明門
・権現造…拝殿+石の間+本殿
※家康は家光により久能山から下野国日光山に改葬
B.仏教建築
(a) 万福寺大雄宝殿(京都宇治)…黄檗宗、明末〜清初の中国建築様式
・万福寺…明からの渡来僧隠元(1654(承応3)年来日)が創建した黄檗宗の本山
※黄檗宗の伝来…17世紀半ばに伝来、教義的には臨済宗の一派だが臨済宗を名乗る、日本で
この宗派名が名乗れるのは明治以降(江戸時代は禁制で新しい宗派は開けない)
(b) 崇福寺大雄宝殿(長崎)…1629創建、黄檗宗、明末〜清初の中国建築様式
(c) 延暦寺根本中堂(京都比叡山)…1640再建、
(d) 清水寺本堂(京都)
C.数寄屋造…書院造に茶室建築を採り入れる
(a) 桂離宮(京都桂)
・後陽成天皇の弟、八条宮智仁親王のために秀吉が建立した別荘、江戸初期(1620〜24)に改修
・古書院、中書院、楽器の間、新御殿が雁行
(b) 修学院離宮(京都東山)…後水尾天皇が紫衣事件で退位後営んだ山荘、桂離宮と並ぶ名園
(4) 絵画…桃山期に引き続き障壁画が絵画の主流
A.狩野派…対象は武家
(a) 狩野探幽は幕府御用絵師となる、江戸画壇を掌握 → 以後、マンネリズムに陥る
(b) 主な絵師
・狩野探幽(1602〜74)…永徳の孫、16歳で御用絵師となる、漢画の手法導入、作品:「大徳寺方丈襖絵」
・久隅守景…探幽の弟子、狩野派を破門、庶民的な画題、優雅な画風、作品:「夕顔棚納涼図屏風」
※探幽以降、江戸時代、狩野派有名絵師は輩出しない、明治期になって狩野派の流れをくむ橋本雅邦、
狩野芳崖が登場
B.装飾画…対象は京都の上層商人が対象
(a) 俵屋宗達(?〜1643)…京都の人 → 光琳派に発展(元禄時代)
・作品:「風神雷神図屏風」「田家早春図」
(b) 「彦根屏風」…彦根藩主井伊家所蔵の風俗画、作者不詳、当時の風俗・生活文化の資料
■狩野派の系譜
(5) 工芸
A.陶磁器…各地で磁器、陶器の生産は盛ん
(a) 有田焼<磁器> ←李氏朝鮮の陶工(李参平ら)の技術導入(朝鮮出兵の際の強制連行)
・酒井田柿右衛門、独自の赤絵技術を完成 → 伊万里港から海外輸出、ヨーロッパに大影響
「色絵花鳥文深鉢」
・その他の朝鮮系製陶…薩摩焼(島津氏)、萩焼(毛利氏)、平戸焼(松浦氏)、高取焼(黒田氏)、など
※ただし、萩焼は陶器、他は磁器
(b) 楽焼<陶器>
・本阿弥光悦など
B.蒔絵…「船橋蒔絵硯箱」(本阿弥光悦)
■本阿弥光悦(1558〜1637) ・京都で刀剣の鑑定や研磨を家業とした本阿弥家の出身
・茶の湯、漆器、蒔絵、書道、陶芸(楽焼)、造園、出版など多方面で芸術的才能を発揮
・家康に疎まれ、洛北鷹ヶ峰(現京都市北区鷹ヶ峰光悦町)の地を与えられ(1615)、
一族の芸術村を建設
(6) 芸能
A.歌舞伎の出現…踊り→演劇
(a) 阿国歌舞伎
・出雲阿国が京都で念仏踊りする(17世紀初) →かぶき踊り
・出雲阿国…出雲大社の巫女で、勧進のため各地を興行したというが不祥な点が多い
(b) 女歌舞伎(傾城歌舞伎)
・阿国の評判を聞いた京都の遊里で始められた遊女のかぶき踊り → 各地を興行
・一世を風靡、しかし観客の目的は舞妓の容色 → 売春の増加 → 幕府は禁止(1629)
(c) 若衆歌舞伎
・幕府の禁令により、出演者の美少女を美少年(若衆)にかえて上演
・一生を風靡、しかし観客の目的は若衆の容色 → 売春(男色)の増加 → 幕府は禁止(1652)
(d) 野郎歌舞伎
・幕府の禁令により、出演者は少年でない男性に限定
・内容は歌舞中心から演劇へ転換 ←男性のみの出演、人形浄瑠璃の戯曲や演出法を採用
※「かぶき」←「傾く(かぶく)」…目を驚かす異様な姿でかわったことをすること、
「かぶき踊り」…異様な格好で当世風の踊りを踊ること
B.人形浄瑠璃…浄瑠璃節に、三味線と人形操りが結合して発展(語り物→人形劇)
※三味線…元代につくられた三弦の楽器、1560年頃に琉球から伝来、蛇皮を張る(蛇皮線)
日本では猫皮(本当は犬皮)を張り日本独自の三味線となる
(7) 文学
A.仮名草子…教訓主体の通俗的作品
(a) 御伽草子(室町期)との相違…いずれも文学的には未熟な作品であることはかわりない
・仮名草子…読者対象は大人 → やや長編
・御伽草子…読者対象は子どもを含む、短編
B.俳諧…おかしい戯れ言の意、連歌の発句が独立、現段階では芸術性が乏しい
(a) 貞門派…松永貞徳(1571〜1653、京都)が創始、用語の滑稽味が特徴
(b) 談林派…西山宗因(1605〜94)が創始、形式化した貞門派に対して自由・平易
■和歌から連歌、連歌から俳諧へ
■和歌から連歌、連歌から俳諧へ
【戻る】
| Copyright(c) 2004, GOKAN IZUMI All rights reserved. |