| ■平安時代(荘園の発達〜院政期の文化) | |||
■平安時代■
(その2)1.平安時代初期の政治 2.律令体制の崩壊 3.弘仁・貞観文化 4.摂関政治 5.東アジア情勢の変化 6.国風文化 7.荘園の発達 8.武士の登場 9.後三条天皇 10.院政 11.保元・平治の乱 12.平氏政権 13.院政期の文化
| ■7.荘園の発達 |
1.地方支配政策の変更
(1) 地方政治の破綻(前述)
A.班田収授の実施不能
(a) 800年代はほとんど行われず
(b) 班田の励行(醍醐天皇)
・12年1班の班田制を励行(902) →伊勢国で最後の班田を実施(902)
・延喜の荘園整理令(902)…勅旨田の禁止
B.造籍の実施不能…偽籍・浮浪・逃亡が著しく、人口調査さえできない
(a) 902年の戸籍の例
・阿波国板野郡田上郷の戸籍(蜂須賀家所蔵)…5戸 435人(男59人、女376人、うち課口24人)
(b) 1004年(記録に残る最後の造籍)
C.大土地所有(山林原野の占有を含む)の進展
(a) 墾田永年私財法(743) → 貴族・大寺院、地方豪族による初期荘園の発達
(b) 延喜の荘園整理令(902)…醍醐天皇、最初の荘園整理令
・初期荘園の取り締まりを実施 → 効果なし
D.地方政治の破綻
(a) 「意見封事十二箇条」(914(延喜4))…三善清行、醍醐天皇に地方政治の乱れを意見する
・備中国邇磨郷(現倉敷市真備町二万(旧真備郡真備町))の衰退ぶりを歴史を追って記述
(b) 地方豪族と国司との対立…例:石見国邇摩郡大領(郡司)が郡内の百姓を率いて国司を襲撃(884)
(c) 山賊・海賊の横行…庸調の都への輸送が困難化
・政府の対応…押領使・追捕使による取り締まり(有力な地方豪族を任命) → 効果あがらず
(2) 国司の徴税請負人化 ←地方の支配政策を変更する必要あり
A.従来の地方支配政策
(a) 国司…中央政府の監督のもとで行政を担当
(b) 郡司…租税の徴収や文書の作成などの実務を担当
B.新しい地方支配政策
(a) 国司…一定額の税の納入を請け負わせて、一国内の統治をゆだねる=国司の権限強化
・国衙の機能は次第に強化
(b) 郡司…権限は縮小
・郡衙(郡家)の機能は縮小(以前は地方政治を直接担当)
(3) 租税形態・課税方法の変化
A.租税形態の変化(人頭税→土地税)…「人は逃げるが土地(土地からあがる収穫物)は逃げない」B.課税方法の変化
(a) 国司は田堵に一定の期間を限って田地の耕作を請け負わせ、官物・臨時雑役などを課税
※田堵…専門の農業経営者、有力農民、経営規模を拡大し大名田堵となるものあり
(b) 課税対象の田地は「名」という徴税単位に区分、名には負名(請負人の名)が付けられる
2.国司制度の崩壊
(1) 国司の徴税請負人化 → 国司の地位の利権化
A.国司の権限強化、課税率の(ある程度の)自由化
B.私腹を肥やし、巨利をむさぼる国司の出現(上級の貴族よりは儲かる、国司に任命されるのは下級貴族)
(2) 売位売官の横行
A.成功…私財を出して朝廷の儀式や寺院の造営などを助け、代償として国司などの官職を得ること
B.重任…成功によって、国司に再任されること
(3) 遙任
A.遙任…国司に任命されても任地に赴かす、目代を派遣して、その収入だけは得ること
B.遙任国司の起源…員外国司(定員外の国司)、権任国司(経歴不足者)
C.遙任と国衙
(a) 留守所…遙任国司の国衙(国司がいないこと)
(b) 目代…遙任国司の場合、国司の代わりとして現地に赴き政務にあたる人物
・国司が個人的に任命(国司の一族、子弟が多い)、在庁官人を指揮して政務を行う
(c) 在庁官人…一般に国衙において実際に執務する主に現地採用の役人、主に地方豪族を採用、世襲
■遙任の図式
(4) 受領
A.受領…遙任国司に対して、実際に任地に赴いて政務を執る国司のうち上席のもの
・平安中期には遙任国司は一般化 → 受領として任地に赴く国司はごく少数
B.受領の任国へ下る目的
(a) 藤原政権下で志を得ず、地方で勢力を伸ばそうとする場合
例:源平2氏 → 地方で武士化 …→再び摂関家や上皇らに接近
(b) 私腹を肥やす目的
例:藤原陳忠の貪欲…「受領ハ倒ル所ニ土ヲツカメトコソ云ヘ(今昔物語集)」
例:藤原元命の暴政…「尾張国郡司百姓等解(文)(尾張国解文)」(988)
■尾張国郡司百姓等解文(988) (1) 尾張国守藤原元命の非法を31カ条にわたって上訴、解任を要求
<非法の内容>
・不当な租税の徴収(出挙のほかに公租の利息を加徴)
・法外に安い値段で産物を買いたたく
・検田使を送って田の面積を2・3倍にして税を取る
・よからぬ者をたちを都からつれてくる
・中央からの通達を知らせない、など
(2) 政府(摂政・藤原兼家)は翌年元命を解任 →とはいえ元命は処罰なし
(3) このような上訴は10世紀末から11世紀前半にかけて盛んに行われた
※紀伊国阿氏河荘言上文(地頭の非法)
3.荘園の成立
(1) 「荘園」…貴族や寺社が保有している土地
A.「荘」とは、本来は荘園経営のために設けた農具や資材、収穫物などを入れる倉庫
・転じて、それらの倉庫をもひっくるめた一帯の土地全体をさして荘園と呼ぶようになった
B.古代〜中世の日本における基本的な土地制度 → 太閤検地(1582〜)によって完全に消滅
C.荘園は起源は一つではない(勿論、墾田永年私財法が遠因であることにはかわりがないが)
(a) 8〜9世紀の荘園(初期荘園(墾田地系荘園))
(b) 10世紀以降の荘園(寄進地系荘園など) これらは本来別のもの
(2) 初期荘園(墾田地系荘園)の成立…初期荘園の中心的時期:8〜9世紀
A.成立の背景
(a) 墾田永年私財法(743)の施行
・土地の私財化の容認(公地公民制の放棄)
・高位の者ほど土地を入手しやすい
理由…位階による面積の制限、開墾期間の制限、(鉄製開墾具の入手のしやすさ)
(b) 貴族や寺社による山林原野の開墾や墾田(開墾地)の買収の進展 → 初期荘園(墾田地系荘園)の成立
・貴族や寺社自らによる山林原野の開墾(自墾地系荘園)
・貴族や寺社による墾田の買収(既墾地系荘園)
B.初期荘園(墾田地系荘園)の特徴
(a) 直接経営が多い(8〜9世紀、荘園も公田も直接経営が流行)
・開墾・耕作の担い手…奴婢(皇室、貴族、寺社に所属)、浮浪人、班田農民(一般農民)
・国衙から近い先進地域に成立(8世紀中頃〜9世紀初頭成立の荘園の1/3)
(b) 原則として輸租田
C.直接経営の失敗(が多い)=初期荘園の行き詰まり →賃祖して地子を得る or 賃祖+直接経営
※直接経営は労働集約型の農業経営には向かない
※寄進地系荘園は開発領主が地道に開発した
(3) 不輸・不入の権 →これらの権利の成立により本格的荘園が成立
A.律令の規定における田…荘園であっても基本的に「租」は収めなければいけない
(a) 輸租田…口分田、位田、賜田、墾田など
(b) 不輸租田…寺田、神田、職田の一部
(c) 輸地子田…公田(乗田)=口分田などに割り当てた残りの田
・1年契約で班田農民に賃租(収穫物の1/5を収める)
B.不輸の権…租を払わなくてもよい権利
(a) 有力な貴族や寺社はその地位を利用して、口実を設けて政府に認めさせた
・寺社の田地は不輸租田(寺田・神田)・輸租田(墾田)が混在 → 鎮護国家などを理由に不輸租を要求
(b) 立券荘号…不輸祖にしてもらうための手続き
・不輸租の申請 → 太政官あるいは民部省は国司に命じて現地調査 →
→ 太政官符あるいは民部省符を出して免租を認める(官省符荘の成立)
(c) 最初の官省符荘…丹波国東寺領大山荘(845、現兵庫県篠山市)
C.不入の権…検田使の入部を拒否する権利 → 国司の警察権の介入拒否へ拡大
(a) 不輸の権を前提に成立
※検田使…荘園の土地調査にあたる国司の部下
D.国免荘…国司が租税の免除を認めた荘園(平安中期より増加)、免除が認められるのは国司の在任中だけ
(4) 寄進地系荘園の成立
A.開発領主の登場…大名田堵などは盛んに山林原野を新田開発し、開発領主と呼ばれるようになる
(a) 在庁官人として国衙の行政に進出
(b) 国司からの圧力を受けると寄進をしてこれに対抗
B.寄進
(a) 「寄進」
・土地を保護してもらうために、一定の権利(職)を保留した上で土地を中央の権力者(権門勢家)差し出すこと
・寄進後は、名目的には荘園は寄進先のものとなり、開発領主は荘官(預所、下司、公文など)などとなるが、
実質的な荘園の管理権は開発領主の側にある(のがほとんど)
・最初は開発領主などが国司や他の領主からの圧迫や干渉から土地を守るために実施
(b) 寄進によって成立した荘園=「寄進地系荘園」(11世紀半ばに拡大)
(c) 重層的に行われる寄進(肥後国鹿子木荘の例を参照・別紙)
・寄進を受けた荘園の領主…領家
・重ねて寄進された上級の領主…本家
※領家・本家のうち、実質的な支配権をもつもの…本所
■寄進の図式
■寄進地系荘園の実例・肥後国鹿子木荘の場合
C.荘官の職務 ※地頭(鎌倉時代)の職務とほぼ同じ
(a) 年貢の徴収
(b) 荘園の管理
(c) 治安の維持
(5) 荘園制度の考え方
A.重層的な荘園の権利関係
(a) 「職」の意味の変遷
1) 職務 → 2) 職務と報酬 → 3) 報酬(分け前にあずかる権利)
(b) 重層的な職※1つの土地に多くの人々がぶら下がっている(分け前にあずかる) →重層的かつ複雑
B.荘園制度とは
(a) 1つの土地からあがる収入に多くの人が依存している制度
(b) 重層的かつ複雑な権利関係、荘園によってすべて異なる →荘園制度を判りにくくしている原因
■荘園制度のイメージ
(6) 有名な荘園
A.肥後国鹿子木荘(東寺)…寄進地系荘園の最も有名な例
B.丹波国大山荘(東寺)…不輸の権が認められた最初の荘園(845)
C.越前国道守荘(東大寺)…初期荘園の有名な例(749頃成立)、絵図を確認
D.紀伊国阿■河荘(寂楽寺)…地頭の非法(鎌倉時代)を荘民が訴えた例として有名
E.伯耆国東郷荘(松尾社)…下地中分の典型的な例、絵図を確認
F.備前国福岡荘(東寺)…「法然上人絵伝」に登場、鎌倉時代の市の状況を示す好例
G.備中国新見荘(東寺)…新見市はたまがき書状や、中世荘園の名残を残す町として売り出し中)
h.肥前国神崎荘(院領)…平忠盛が預所、宋との貿易を行う
i.山城国上桂荘(東寺)…寄進地系荘園の例
j.紀伊国■田(かせだ)荘(神護寺)…荘園の四至(範囲)を示す絵図が残る
4.荘園と公領
(1) 国司の地方支配形態の変化
A.国衙領…国司の私有地のようになった公領のこと
・国司の徴税請負人化(本当は私腹を肥やすこと) → 地方に対する支配権を強化 →
→ 公領(荘園でない土地、本来国司が統治)を国司の私有地のように扱う → 国衙領と呼称
B.国司は税徴収に都合のよいように行政単位を郡・郷・保などに再編
(a) 本来の律令制における行政単位:郡・里(郷) → 再編後の行政単位:郡・郷・保
(b) 郡・郷・保に、郡司・郷司・保司をおき、徴税を請け負わせる
C.呼応して、国衙に田所・税所などの行政機構を整備
※実際には、国司の派遣する目代のもとで、在庁官人が実務をとる
■荘園と国衙領の併立
(2) 名主の出現
田 堵 =専門の農業経営者
↓ ・国司は一定の期間を限って田地の耕作を請け負わせ、官物・臨時雑役などを課税
↓ さらに経営規模を拡大して大名田堵となるものあり
↓ ・課税対象となる田地は「名」という課税単位に分けられている、名には請負人の名が付けられる
名 主 =請作の長期化で、土地への権限を強める(12世紀頃)
・名田にかかる税(年貢・公事・夫役)の納税責任者
・名田の一部を作人(小作人に該当)や下人(隷属農民)に耕作させる
・1つの名田…3〜4町程度
・武装化して武士となるものあり
(3) 租税形態の変化(人頭税→土地税) ※荘園も、国衙領も基本的には税の形態は同じ
A.年貢…米、(絹)
B.公事…糸・布・炭・野菜・酒など手工業品、特産品 → 納入日まで決めてある
C.夫役…労役(佃の耕作、堤防溝堰の修築、興趣の居館などの警固・雑役など)
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| ■8.武士の登場 |
1.武士団の成長
(1) 武士の登場
A.武士団の成立
(a) 武士団の登場
・国司の腐敗(私欲をむさぼる) →
→ 在庁官人・郡司・名主などは治安の維持、土地の確保のため武装化 → 武士団の登場
(b) 武士団の組織化
・もともと武士団は荘園、国衙領で個別に行動 → 「結合者」の登場 → 大武士団へ成長
※結合者…国司となって地方へ下り豪族の娘と結婚するなどして土着した下級貴族やその子孫
・地方では、家柄が良さが光る
・中央では、摂関政治の下では出世の見込なし
・大武士団の統率者=武士の棟梁…桓武平氏と清和源氏が有名
B.武士団(兵の家)の構造
棟梁…大武士団の長(源氏・平氏=賜姓皇族)
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惣領(首長)…中小武士団の長(地方豪族) ※惣領とは鎌倉時代の用語
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家子・郎党…家子(一族の者)、郎党(郎等・郎従)(従者)
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下人・所従…隷属農民
C.武士の棟梁
(a) 桓武平氏
・桓武天皇の曾孫高望王 → 「平」の姓を賜う → 上総介に任命 → 下総に土着 → 関東に勢力
(b) 清和源氏
・清和天皇の孫源経基 → 「源」の姓を賜う → 近畿方面に勢力
(c) その他
(2) 承平・天慶の乱(935〜941)…平将門の乱(935〜940)+藤原純友の乱(940〜941)
※朱雀天皇の治世、延喜・天暦の治の間
A.平将門の乱(935〜940)…軍記物語である「将門記」に詳しい
(a) 平将門(?〜940)…平高望(高望王)の孫
(b) 背景…東国武士団の成長 ← 朝廷の干渉が少ない、蝦夷征討の基地
(c) 経過
935〜938 将門父の遺領問題が発端で一族内で抗争 → 将門、伯父国香を殺害
939 常陸の国衙襲撃 → 下野・上野の国衙を襲撃 → 関八州の支配
・下総、猿島郡に根拠地を置く
・新皇と自称し、一族のものを国司などに任命(関東に独立国家をつくる意図)
940 平貞盛(国香の子)、押領使藤原秀郷らが鎮圧(征東大将軍藤原忠文の到着前に)
B.藤原純友の乱(939〜941)
(a) 藤原純友(?〜941)…前伊豫掾、帰京せず瀬戸内海の海賊の棟梁となる、伊豫日振島が根拠地
(b) 経過
936 紀淑人が討つ ← 伊豫日振島に根拠を置く、沿岸の官物や私財を奪う
939 淡路、伊豫・讃岐の国衙、大宰府を襲う(大宰府炎上)
941 小野好古・源経基らが鎮圧(征西大将軍藤原忠文の任命翌日に)
C.結果
(a) 朝廷の権威失墜 ← 朝廷はなにもできなかった(朝廷派遣軍の当直前に決着が付く)
(b) 貴族は武士の実力を認識(反乱を押さえたのもまた武士なり)
(3) 朝廷・貴族の武士利用
A.朝廷・政府
(a) 滝口の武士…宇多天皇が設置(9世紀末)、滝口で伺候したことから名がある
※滝口…禁中清涼殿の艮(東北方)の御溝水の落ちるところ
(b) 北面の武士…白河天皇が設置(11世紀末)、院の御所の北面で警護したことから名がある
※平氏は院に接近して勢力を伸張
(c) 追捕使・押領使…いずれも令外官、治安の維持が職務、武士を任命
・押領使…内乱の際、兵力不足を補うため豪族の私兵を国司の支配下においたのが始まり
10〜11世紀に諸国に常置
・追捕使…地方豪族を任じた臨時の警察官、1000年頃から諸国に設置 →総追捕使(守護)に発展
(d) 刀伊の撃退(1019)…大宰権帥藤原隆家のもとで九州の武士が活躍 → これを契機に武士団が結成
B.貴族(とくに摂関家)
(a) 侍…さぶらう者の意、貴族に近侍する者=貴族の警固する者
※源氏(安和の変(969)における源満仲など)は摂関家の侍として権力に接近
■平氏略系図
■源氏略系図(その1)
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2.源氏の台頭
(1) 平忠常の乱(1028〜1031)
A.平忠常…前上総介、上総・下総に勢力 ←平将門の乱後も平氏は関東を基盤として繁栄
B.経過
1028 忠常、反乱を起こす →朝廷、平直方に追討させたが失敗、4年経過
1031 朝廷、源頼信を甲斐守に任命、忠常を追討を命じる → 忠常、戦わずして降伏
C.結果…関東で源氏(頼信の系統)が勢力拡大の契機となる(頼信は河内に定着、河内源氏の祖となる)
(2) 前九年の役(1051〜62)…「陸奥話記」による
A.背景…陸奥(東北地方)における安倍氏の勢力拡大、国司の命に従わず(貢租、徭役を拒む)
B.経過
朝廷の鎮圧軍の派遣 → 失敗
1051 朝廷、源頼義を陸奥守兼鎮守府将軍として派遣 →安倍氏は頼義在任の5年間は帰順
1056 再び反乱 → 頼義が追討するが、長期戦に
1062 頼義、出羽の豪族清原氏(光頼・武則兄弟)に援助を求める → 乱の鎮定
※前九年…反乱の再発(1056)〜京都への復命(1064)まで9年(?)
C.結果
(a) 源氏の勢力が東北地方にまで及ぶようになる(平忠常の乱以後、関東で源氏の勢力拡大)
(b) 東北地方では、安倍氏にかわって清原氏が勢力を伸ばす
(3) 後三年の役(1083〜1087) ※後三年…反乱の再発(1086)〜義家の凱旋(1088)まで3年(?)
A.背景…清原氏一族間の争い
(a) 清原真衡と清原家衡との争い(異母兄弟同士)
(b) 真衡の死後、清原家衡と藤原清衡との争い(異父兄弟同士)
B.経過
1083 義家、陸奥守として入国
清原真衡と家衡との争い(義家は真衡を援助) → 真衡の病死後は一時平穏に
1086 清原家衡と藤原清衡との争い(義家は清衡を援助)
1087 清衡・義家の勝利
C.結果
(a) 義家
・源義家の名声が上がる(「天下第一武勇の士」) →
→ 私財を割いて部下に与える(朝廷は私闘として恩賞はなし)
・諸国の武士は荘園を寄進(朝廷は禁止令を出す) →源氏の武士の棟梁として地位確立
・昇殿許可(1098)=武士の棟梁としての地位の公認
(c) 東北地方では、清原氏にかわって藤原氏が栄える →奥州藤原氏の3代100年の栄華(1089の滅亡まで)
(4) 奥州藤原氏3代100年の栄華
A.3代100年 …藤原清衡、奥州支配確立(後三年の役(1083〜1087)後)〜源頼朝、泰衡を滅ぼす(1189)
B.中心地…平泉
C.財力の中心…砂金の採掘(採集)、馬の飼育など
D.奥州藤原氏3代…ミイラとして遺体は現存
(a) 清衡(1056〜1128)…中尊寺を建立、中尊寺金色堂が現存
(b) 基衡(1090?〜1158?)…毛越寺を建立、庭園のみ残る
(c) 秀衡(?〜1187)…無量光院を建立
※中尊寺、毛越寺、無量光院…浄土教の寺院(阿弥陀堂の建設、浄土式庭園の造園)
■安倍・清原・藤原氏略系図(前九年の役)・(後三年の役) 書き込み用系図
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| ■9.後三条天皇 |
1.後三条天皇の親政
(1) 後三条天皇(位1068〜1072)…摂関家をはばからず政治を実施
A.摂関家を外戚とせず…朱雀天皇第2皇子、母は三条天皇皇女禎子内親王、(頼通に外孫は生まれず)
B.即位時35歳(皇太子期間33年間)、好学、剛気
C.在位1068〜1072 →わずか4年だが政治に大きな変化(摂関政治の終焉)
(2) 政策
A.延久の荘園整理令(1069.2) ※延喜の荘園整理令(902、醍醐天皇)
(a) 1045(寛徳2)年以降の新立荘園の停止 ※1045年…寛徳の荘園整理令
(b) 1045年以前の荘園でも券契(証拠書類)不分明、国務の妨げになるものは停止
B.記録荘園券契所(記録所)の設置(1069・閏10〜1072)
(a) 2月に制定した荘園整理令の厳密な実施のために設置
(b) 荘園領主から差し出させた券契(文書)を調べ、基準に合わない荘園は停止
(c) 成果…一応の成果を上げる(ただし、荘園の増加は止まらない)
・実例
石清水八幡宮領34カ所中、13カ所停止
摂関家も文書提出を命じる(最終的には) →頼通の反応(「愚管抄」)、摂関家に打撃
・結果…荘園は天皇のもとへ荘園は集まる(藤原氏は経済的にも没落し始める)
(d) 寄人(職員)…下級貴族中心
・反摂関的立場の貴族…例:源経長
・受領出身の学識層…例:大江匡房
C.宣旨枡の制定(1072)
(a) 枡の大きさを制定(計量の単位を統一) ←枡の大きさは地域や立場によって異なっていた
D.国司の重任を禁止
■『愚管抄』のポイント A.慈円(九条兼実の弟)の歴史書、7巻、1220年頃(承久の変の直前)
B.神武天皇〜承久の変までを記す
C.「道理」が歴史を動かす論理、末法思想の影響
D.批判的に歴史を記す
→後鳥羽上皇に対して承久の乱を思いとどまらせるために執筆
E.三大史論の1つ(「愚管抄」、「神皇正統記」、「読史余論」)
■天皇家略系図(院政期)
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| ■10.院政 |
1.院政の開始…平安時代最後の100年間の政治形態
(1) 契機…白河天皇、堀河天皇(8歳)へ譲位(1086) → 白河上皇として院中で引き続き政権担当
(2) 院政…院(上皇)の政治、天皇譲位後、上皇(太上天皇)として引き続き政権を担当すること
A.院…もとは上皇の居所の意 → 上皇自身を指すようになる
B.院庁の設置
(a) 院庁…院政を行う役所
(b) 院司…院庁の職員、兼務が基本
・別当(院庁の長官)、以下年預、判官代、主典代などをおく
・院の近臣…院司の中でとくに重要視されている人物
・院司は中流以下の貴族出身者 ←中下級貴族は摂関政治のもとでは出世の見込みがない
上皇の乳母の近親
諸国の国司(受領)をつとめ、巨万の富を築いた者
※別当(一般的に長官の意)…検非違使の別当、院司の別当、興福寺の別当、侍所・政所の別当
(c) 院の命令…院庁下文、院宣
・院庁下文…院庁から出される命令書
・院宣…上皇から出される命令書 院庁下文、院宣 > 太政官符、詔勅、宣旨・綸旨
(d) 北面の武士…上皇の親衛隊、平氏を採用→政権への契機に
C.院政のありかた
(a) 摂関政治よりも専制的…摂政、関白は存在するが有名無実
▼摂関家と上皇とどちらが上?
(b) 法や従来の慣例に拘らない ←上皇という立場上、政治の上での制約が少ない
(c) 政治の実権:摂関家=天皇の外戚(母方の親戚) → 上皇(天皇の父)
■院政の在り方
(3) 実施時期…約100年間の院政期(1086〜1192頃)
A.前期院政
(a) 白河上皇(1086〜1129)=43年間…平正盛を寵愛
(b) 鳥羽上皇(1129〜1156)=27年間…平忠盛(正盛の子)を寵愛
保元・平治の乱 →平氏(清盛)の台頭
B.後期院政
(a) 後白河上皇(1158〜1192)=34年間…平氏(清盛)の台頭と滅亡
・1179〜81の間は院政停止(平清盛の後白河上皇幽閉)
鎌倉幕府の成立(1192)
(b) 後鳥羽上皇(1198〜1221)=23年間…鎌倉幕府(源氏将軍時代)、承久の乱(1221)
C.その後の院政…以後も院政は続くが政治上の実権はない(それ故、教科書では採り上げない)
(a) 鎌倉中期…後高倉(1221〜1223)、後堀河(1232〜1234)、後嵯峨(1246〜1072)
(b) 鎌倉後期〜南北朝時代…亀山(1274〜1287)、後深草(1287〜1290)、伏見(1298〜1301・1308〜1313)
後宇多(1301〜1308・1318〜1321)、後伏見(1313〜1318)
(c) 室町時代…院政はない
(d) 江戸時代…後陽成(1611〜17)、後水尾(1629〜80)、霊元(1687〜1732)、光格(1817〜1840)
(4) 院政開始の動機(様々な理由が考えられている)
A.摂関家への牽制のため…「愚管抄」(慈円)による
B.束縛の多い天皇の地位を離れて自由な立場で政治を行うため
C.後三条天皇の子である輔仁親王を押さえ、我が子である堀河天皇を皇位につけようとしたため、ほか
■天皇家略系図(院政期)
2.院政の展開
(1) 院の経済基盤…院の収入は摂関家を凌ぐ
A.知行国
(a) 知行国
・皇族や上級の貴族、寺社などに対して、一定の国の国司を推薦する権利を与え、そこからの租税収入
の大部分を、一定の期間にわたって与えさせる制度
・知行国主(国司を推薦する権利を与えられた個人)は、自分の子弟などを国司に推薦、現地へは目代を
派遣して国務(実質的に徴税)にあたらせた
・結果として、国衙領は貴族や国司の私有地のようになる
※位階が高いために国司になれない上級貴族などが国司(収入が多い)の利権の分け前に
あずかるために創出された制度と考えるべきもの
(b) 院宮分国…皇室の知行国(西日本に多い) → 皇室の収入増大
B.荘園
(a) 皇室領増大(とくに鳥羽院) ←厳しい荘園整理令(荘園整理令を出した人物に荘園は集中)
・長講堂領 : 88カ所
・八条女院領:100カ所
C.国司の奉仕(成功、重任)など
(2) 院の仏教信奉(収入の使い道)
A.院政の中心的3上皇(白河、鳥羽、後白河)の出家 → 法皇
B.造寺・造仏の流行
(a) 六勝寺の建立(いずれも現存せず)…皇室の御願寺
・法勝寺…白河天皇
・尊勝寺…堀河天皇
・最勝寺…鳥羽天皇
・円勝寺…鳥羽天皇皇后待賢門院
・成勝寺…崇徳天皇
・延勝寺…近衛天皇
(b) 造仏…例:白河天皇の時の造仏数3150体(等身大のもののみ)
C.熊野・高野への参詣
(a) 白河法皇(院政1086〜1129)…熊野詣8回、高野詣4回
(b) 鳥羽法皇(院政1129〜1156)…熊野詣22回
(c) 後白河法皇(院政1158〜1192)…熊野詣34回
D.法要の流行
E.白河や鳥羽(京都郊外)に離宮を造営
F.結果
(a) 財政難 → 売位売官などの政治腐敗の横行、重任の復活(後三条天皇が禁止していた)
(b) 僧兵の横暴
(3) 寺院勢力の増大 ←院の寺院保護
A.僧兵の横暴…朝廷、貴族に強訴
(a) 僧兵…堂衆(雑役を行う下級僧侶)と荘園からの農民を武装化
(b) 南都・北嶺の活動 ←神仏習合
・興福寺(南都)…奈良法師−春日神社−神木(榊)
968年が最初〜1379年が最後、70数回 ※興福寺=藤原氏の氏寺
・延暦寺(北嶺)…山法師−日吉神社−神輿
※興福寺・春日神社、延暦寺・日吉神社も東寺は同一組織
(c) 結果…鎮護国家のために保護してきた寺院が国家に反抗=古代国家の終焉
・社会の混乱…貴族・院も無力
例:白河法皇「賀茂川の水、双六のさい、山法師、是ぞ朕の心に随はぬ者」(源平盛衰記)
白河法皇は山法師を天下三不如意の1つに数えた
・武士による鎮圧 →武士の中央進出の契機
■熊野社 (1) 熊野社…熊野三山
・本宮(熊野座神社)、新宮(熊野速玉神社)、那智(熊野那智神社)の熊野三山
(2) 平安初期から仏教修行の道場として注目 → 修験道の道場として有名
(3) 907(延喜3)年の宇多天皇の御幸が初
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| ■11.保元・平治の乱 |
1.伊勢平氏の台頭と源氏の衰退
(1) 伊勢平氏の台頭
A.関東地方における平氏…平忠常の乱以降衰退
B.伊勢平氏
(a) 平維衡(貞盛の子)
1006 維衡、伊勢守に任命 ←伊勢・伊賀に勢力をのばす
(b) 正盛(維衡の孫)
1097 伊賀の私領を六条院(白河天皇皇女)に寄進 → 北面の武士に採用
1108 源義親の乱(出雲での反乱)を平定 → 白河天皇の信任
(c) 忠盛(正盛の子)
1129 山陽・南海の海賊を征討 → 瀬戸内海の海上交通権の獲得 → 貿易
1132 鳥羽上皇の院庁別当に任命、内昇殿許可
1133 院領肥前国神崎荘で貿易 → 巨万の富を築く
(d) 清盛(忠盛の子)
1146 正四位下、安芸守 → 厳島神社の保護
1153 父忠盛の死により、平氏の棟梁となる → 保元・平治の乱 → 太政大臣
・後白河法皇との密接な関係、蓮華王院の造営
(2) 清和源氏
A.源義家…源氏の勢力最大
(a) 後三年の役で勢力を伸ばす → 武家の棟梁としての地位確立
(b) 院の昇殿許可(1089)=武家の棟梁としての地位公認
B.源義親(義家の子)…源氏の勢力の衰退始まる
1107 出雲で反乱 → 平正盛に敗死(1108)
C.源為義(義親の子)
1109 源氏の棟梁となる(14歳)
1146 検非違使に任ぜらる
1154 為朝(為義の子)の乱行により、官を罷免
1156 保元の乱で斬首
D.源義朝(為義の子)
1159 平治の乱で暗殺、子の義平(兄)も斬首、頼朝(弟)は伊豆へ配流
2.保元・平治の乱
(1) 保元の乱(1156.7)
A.背景・原因
(a) 鳥羽法皇・後白河天皇と、崇徳上皇との対立
(b) 摂関家の内紛…藤原忠道(兄)と藤原頼長(弟)との対立
B.経過
1156.7. 2 鳥羽法皇の死 →後白河天皇、崇徳上皇の弔問を拒否
1156.7.10 崇徳上皇・藤原頼長、源為義・平忠正を召集
1156.7.11 後白河天皇、源義朝・平清盛らに夜襲命令 → 1日にして勝敗決す
C.結果…崇徳上皇方の敗北
(a) 敗者の処分
・崇徳上皇→讃岐に配流
・藤原頼長→流れ矢で傷死
・源為義・平忠正→斬首・斬死、源為朝→伊豆へ配流…死刑の復活(弘仁年間以来)
(b) 後白河院政の開始(1158〜)
(c) 中央政界における武士勢力の一層の伸張
■保元の乱の相関関係−1156(保元1)年7月11日夜
■天皇家略系図(院政期)
■平氏略系図
(2) 平治の乱(1159.12)
A.背景・原因
(a) 院の近臣間の対立…藤原通憲(信西) vs 藤原信頼
(b) 源氏と平氏との対立…平清盛 vs 源義朝
B.経過
1159.12. 4 平清盛、熊野参詣に出発
1159.12. 9 藤原信頼、源義朝の挙兵→後白河上皇御所三条院襲撃(「平治物語絵巻」)→上皇・天皇を幽閉
1159.12.13 藤原通憲の自殺
1159.12.26 平清盛、上皇らを救出、勅をもって信頼らを討つ → 信頼ら敗北
C.結果…藤原信頼、源義朝の敗北
(a) 敗者の処分
・藤原信頼→斬首
・源義朝→敗走の途中暗殺、義平(義朝の子)→斬首、頼朝(義朝の子)→伊豆蛭小島に配流
(b) 源氏の敗退 → 平氏の覇権の確立
■平治の乱の相関関係−1159(平治1)年12月
(3) 保元・平治の乱の意義
A.中央政界の抗争を武士が武力で一気に解決
B.貴族と武士との権力の逆転(以後、この関係は700年間変わらない)
保元の乱(1156)…貴族の抗争に、傭兵として武士が利用された
↓ 3年間の間に武士と貴族らとの勢力関係逆転
平治の乱(1159)…武士間の抗争に、貴族が巻き込まれた
B.平清盛の権力の急速な拡大 → 平氏政権の確立(初の武士政権)
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| ■12.平氏政権 |
1.平氏政権(六波羅政権)
(1) 平氏の貴族化…一族は高位高官に昇進(公卿16人、殿上人30余人)
A.清盛
1146 正四位下、安芸守
1153 父忠盛の死により、平氏の棟梁となる
1156 保元の乱…清盛は勝利側
1159 平治の乱…清盛は勝利側
1160 参議 →公卿の仲間入り
1161 検非違使別当(検非違使の長官)、権中納言
1165 権大納言、兵部卿
1166 内大臣
1167 従一位、太政大臣(武家にして初)
1168 出家して、浄海と名乗る
B.重盛(清盛の子)
1167 内大臣、左大将(左近衛府の長官)
C.宗盛(清盛の子、重盛の弟)
1167 中納言、右大将
(2) 人的関係…摂関家的手法と武士的な主従関係の両面性
A.天皇家との姻戚関係の設定
(a) 女徳子(建礼門院)を高倉天皇の中宮とする(1171) →安徳天皇誕生
B.摂関家との姻戚関係の設定
C.地方武士の組織化
(a) 畿内・西日本の武士を家人に組み入れ、地頭に任命 ← 国衙領・荘園の支配拡大
(b) 国衙の在庁官人とも主従関係を設定
D.延暦寺と結ぶ
(3) 平氏政権の経済的基盤 ※院の経済的基盤
A.知行国…30国余り(西日本に多い) ←「平家物語」
B.荘園…500カ所余り →平家滅亡後は平家没官領となり、頼朝へ
C.日宋貿易
(a) 経過
・忠盛…院領肥前国神崎荘で日宋貿易開始(1133)
・清盛
音戸瀬戸の開削
摂津国大輪田泊(兵庫港、現神戸市兵庫区)の修築…宋の商船を直接入港させて貿易
※日本の不文律…瀬戸内海に外国船を入れさせない
※平氏(忠盛が)は瀬戸内海の海賊を支配下に入れていた故にこのような貿易形態が可能
(b) 貿易の内容
・輸入品…高級絹織物、宋銭、陶磁器、香料、薬品、書籍など →平氏政権の財源、文化経済への影響
・輸出品…金、水銀、硫黄、木材、米、刀剣、漆器、扇など
▼各政権の経済基盤について比較せよ
※院の経済基盤…………荘園、知行国
※平氏政権の経済基盤…荘園、知行国、日宋貿易
※鎌倉幕府の経済基盤…関東御領(荘園)、関東知行国(知行国)、ほか
(4) 平氏(六波羅)政権の性格…武士的性格・貴族的性格の二面性 → 平氏政権短命の原因
A.武士的性格
(a) 武家の棟梁
(b) 武士を家人として組織化
B.貴族的性格
(a) 院の近臣の出身
(b) 天皇家との外戚関係の設定…藤原氏にならう
(c) 経済基盤は知行国、荘園、(日宋貿易)
(5) 鹿ヶ谷事件(1177) ※「鹿ヶ谷の陰謀」ともいう
A.背景…後白河法皇・貴族層の平氏に対する不満の増大
B.経過
(a) 清盛、六波羅に常備軍配置、京都市中に禿(密偵)を放つ
(b) 京都鹿ヶ谷(俊寛の別荘)で平氏打倒の密談発覚(1177) ←多田行綱の密告で
・密談参加者…藤原成親、西光、俊寛ら(いずれも院の近臣)
C.結果
(a) 藤原成親→備中に配流、西光→斬死、俊寛→鬼界島(南西諸島)
(b) 清盛、後白河法皇の責任は追及せず ←重盛の反対
(6) 清盛のクーデター(1179)…平氏(六波羅)政権の確立
A.経過
(a) 重盛の死(1179) → 後白河法皇、重盛の所領を没収
(b) 清盛、福原(現神戸市兵庫区)から数千の軍勢を引き連れて上京 →クーデターの実行
B.結果…清盛、全権を掌握=平氏政権の確立
(a) 後白河法皇を幽閉 → 後白河院政の中断
(b) 関白を解任、太政大臣以下39名を解任
2.治承・寿永の内乱(1180〜1185)…いわゆる「源平合戦」「源平の争乱」
(1) 背景…清盛専制に対する不満 ←貴族、大寺院、地方武士団
(2) 経過
A.源頼政の挙兵(1180.4)…初の平氏打倒の軍事行動 → 反平氏軍事行動の全国化
(a) 以仁王(後白河の第二皇子)の令旨 →頼政の挙兵 →平等院の戦(1880.5) → 失敗
・寺院勢力の協力…園城寺、興福寺など
・頼政、宇治の平等院で自刃、以仁王、逃れる途中で流れ矢に当たり死
(b) 清盛、福原京へ遷都(1180.6) → 平安京に再遷都(1180.11)
B.源頼朝の挙兵(1180.8)…頼朝初の軍事行動→失敗
(a) 以仁王の令旨 → 頼朝の挙兵(北条時政が協力) → 石橋山の戦(1180.8) → 失敗 →
→ 安房に逃れる → 鎌倉を拠点を置く(以後、平氏滅亡後まで京都には赴かず)
(b) 富士川の戦(1180.10)
・清盛、維盛(清盛の孫)を総大将として追討軍を派遣 →富士川で対峙(富士川の戦)
・平家軍、水鳥の音に驚き敗走(軟弱、士気が低い) ←公家風に慣れて軟弱化
(c) 範頼・義経、平家追撃
・頼朝、鎌倉に後退、関東の地盤固めに専念
・範頼(頼朝の弟)、義経(頼朝の弟)を平家追撃に派遣
※範頼…尾張で成長(蒲冠者)
※義経…平治の乱後、鞍馬山に預けられる(牛若丸) → 奥州藤原氏を頼る
(d) 侍所の設置(1180.11)…侍所(御家人の統率機関)
D.平清盛の死(1181.閏2)
(a) 平重衡、南都焼き打ち(1180.12)…東大寺大仏殿焼亡
(b) 清盛、熱病死(1181.閏2) → 宗盛(清盛の子)が跡を継ぐ(既に重盛は1179年に死)
(c) 1181年は全国的な大飢饉(養和の大飢饉)
E.源義仲の挙兵(1180.9)
(a) 源義仲の挙兵(1180.9)…義仲は木曽山中で成長
(b) 平教盛、義仲と北陸で合戦(1182.2)
(c) 倶利伽藍峠(砺波山)の戦(1183.5)
・宗盛、維盛を義仲追討に派遣 → 礪波山の倶利伽藍峠で戦い →平家惨敗
(d) 義仲、入京(1183.7) → 平氏都落ち、福原(現神戸)に逃れる →
→ 義仲軍、略奪行為を行う、皇位継承問題に干渉 → 後白河法皇・公家の反感
(e) 義仲のクーデター(1183.11)
・後白河法皇の幽閉、摂政以下を解任
・義仲、征夷大将軍となる(ただし、幕府は開かない)
(f) 後白河、東国の支配権(沙汰権)を認め(「寿永二年の宣旨」、1183.10)、頼朝に上京を促す →
→ 頼朝、範頼・義経らを上京させる → 義仲を征討(1184.1)…義仲は近江粟津で敗死
※「寿永二年十月宣旨」の意義…頼朝の軍事的支配の合法化、義仲に対する優越的地位の獲得
※東国の領域…東山道・東海道(当初) → 信濃・三河以東(1186) → 信濃・遠江以東(1225)
F.頼朝による平家の追討
(a) 平氏追討の院宣 → 範頼・義経による平氏追討
(b) 一の谷の戦(1184.2)…摂津国一の谷(現神戸市兵庫区・中央区)での戦い → 平氏、海に逃れる
(c) 屋島の戦(1185.2)…讃岐国屋島(現高松市)での戦い → 平氏、西走
(d) 壇の浦の戦(1185.3)…長門国壇ノ浦(関門海峡)での戦い=平氏滅亡
・平氏一門の滅亡(ほとんど死亡)、安徳天皇死、徳子(建礼門院)救出
G.義経の自殺(1187)
(a) 平氏滅亡後、義経、鎌倉に向かう → 頼朝、義経の鎌倉入りを拒否
(b) 義経、京都に引き返し、後白河法皇から頼朝追討の院宣を受ける
(c) 頼朝軍上京 → 頼朝、後白河に院宣を撤回させ、逆に義経追討の院宣を出させる(1185.11)
・同時に、以下の権利を後白河法皇に認めさせる
守護、地頭の設置…名目上、平家の残党刈りや義経追討を目的とする
→これに対する抵抗が強く、地頭は平家没官領に限定(1186.6)
段別5升の兵粮米の徴収 →後に撤回(1186)
在庁官人を支配する権利
※「守護・地頭の設置」の意義…頼朝政権が全国政権となる契機を与える
(d) 義経、奥州藤原氏のもとに逃れる
(e) 藤原秀衡の死後、泰衡は頼朝の要求を拒みきれず、義経を衣川館で自殺させる(衣川の戦、1187.閏4)
(f) 頼朝、義経をかばった理由で泰衡の一族を滅ぼす → 奥州藤原氏の滅亡(1189)
(g) 頼朝、陸奥・出羽の2国を支配下に置く
H.範頼の殺害(1193)
(a) 平氏滅亡後、頼朝、範頼と不和 → 伊豆に追われて殺害(1193)
■源氏略系図(その2)
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| ■13.院政期の文化 |
1.院政期(平安末期)の文化
(1) 特徴…貴族の衰退、武士の台頭
A.貴族文化の地方普及 ←地方豪族の成長
(a) 地方に阿弥陀堂建築が増加 ←浄土教の地方へ拡大…聖(寺院に所属しない僧侶)の活動
・地方の阿弥陀堂建築の例…中尊寺金色堂(岩手)、白水阿弥陀堂(福島)、富貴寺大堂(大分)など
(b) 地方に残る院政期の重要寺院・神社建築…例:三仏寺投入堂(鳥取)、厳島神社(宮島)など
B.武士・庶民文化の発達 ←それ以前の文化の担い手は貴族中心
(a) 武士文化の例…軍記物(「将門記」「陸奥話記」)など
(b) 庶民文化の例…「梁塵秘抄」、猿楽・田楽など
C.絵画・絵巻物の発達
(a) 絵画の例…「平家納経」「扇面古写経」など
(b) 絵巻物の例…「源氏物語絵巻」「信貴山縁起絵巻」「伴大納言絵詞(絵巻)」「鳥獣戯画」
(2) 建築…地方の阿弥陀堂の建築増加 ←浄土教の地方へ拡大…聖(寺院に所属しない僧侶)の活動
A.阿弥陀堂…基本的に方3間の宝形造
(a) 中尊寺金色堂(1124)…陸奥(岩手)・平泉
・全面に金箔を押す、内部の柱は螺鈿技法の蒔絵
・藤原清衡の建立、須弥壇下には清衡・基衡・秀衡3代のミイラを収める
(b) 富貴寺大堂(1152)…豊後(大分)・高田
(c) 白水阿弥陀堂(1160)…陸奥(福島)・白水、浄土庭園を伴う
(d) 浄瑠璃寺本堂…大和(奈良)、内部に9体の阿弥陀座像を安置
B.その他
(a) 三仏寺投入堂(奥院)…伯耆(鳥取)三朝、投入堂は三仏寺の鎮守、蔵王権現をまつる、山岳仏教の遺構
(b) 厳島神社…安芸(広島)宮島
・もとは安芸国の一の宮、清盛が安芸守となって以来、平氏の氏神のようになる
・世界文化遺産に指定(1996)
(c) 毛越寺(1108)…陸奥(岩手)平泉、浄土式庭園がのこる
(3) 仏像
A.往生極楽院阿弥陀三尊像(1148)…京都大原、三千院本堂(往生極楽院)内に安置
B.浄瑠璃寺阿弥陀像…大和(奈良)、9体の阿弥陀像の唯一の現存例
C.臼杵の磨崖仏…豊後(大分)臼杵、凝灰岩に刻まれた62体の石仏
(4) 絵画・絵巻物
A.絵巻物…絵と文章が交互につなげられた巻物(右から左へと読む)、大和絵の手法
B.実例
(a) 「源氏物語絵巻」(12世紀前半、現存4巻、藤原隆能(?))
・源氏物語を絵巻物化、宮廷生活を描写
・濃絵、引目鈎鼻(形式化した人物描写)、吹抜屋台(天井を描かない)
(b) 「伴大納言絵巻(絵詞)」(12世紀半ば、3巻)
・866年の応天門の火災をめぐる大納言伴善男の陰謀とその露見の次第(応天門の変)を描く
・生き生きした庶民の表情を描写
(c) 「信貴山縁起絵巻」(12世紀、3巻)
・生き生きした庶民の表情を描写
・命蓮の霊験を絵巻化した「飛倉の巻(山崎長者の巻)」は特に有名
(d) 「鳥獣戯画」(12〜13世紀、4巻)…高山寺蔵
・鳥羽僧正覚猷作(?)…各巻の題材、描法が異なる
・全巻とも白描画(着色していない)
(e) 「年中行事絵巻」(現存せず)…住吉如慶(江戸初期)による模写本19巻遺存
B.絵画
(a) 「扇面古写経(扇面法華経冊子)」(12世紀、10帖(冊子))…四天王寺、東京国立博物館蔵
・扇面型の料紙に法華経を写経
・木版墨刷の下図に彩色して庶民風俗を描写
(b) 「平家納経」(1164〜1167、33巻)…厳島神社蔵
・清盛が一門の繁栄を願い発願、一族が分担し、料紙・軸に装飾の限りを尽くす(装飾経)
・浄土教の影響
(5) 文学
A.説話集
(a) 「今昔物語集」(31巻)
・1000余りの説話を、天竺の部(1〜5巻)、震旦の部(6〜10巻)、本朝の部(11巻〜)に分類
・仏教説話、世俗説話、武勇談など…武士・庶民の姿を描写
B.軍記物(軍記物語)
(a) 「将門記」…軍記物の最初、平将門の乱の唯一の詳細な記事、将門の乱終結後まもなくして成立か
(b) 「陸奥話記」…軍記物の最初、前九年の役の経過を記す
C.歴史物語
(a) 「栄華(栄花)物語」…赤染衛門が作者(?)
・道長を中心に藤原氏の栄華を語る(批判的精神に乏しい)
(b) 「大鏡」…成立年代、作者不明
・大宅世継(190歳)と夏山繁樹(170〜180歳)が昔話を語る形式 →今鏡・水鏡・増鏡(四鏡)へ引き継がれる
・道長を中心に藤原氏の栄華を語る(藤原氏の陰謀を鋭く暴露、批判的)
D.史書
(a) 「扶桑略記」…30巻、皇円著
・神武〜堀河天皇の歴史を漢文体で記した編年体の史書
・六国史に伝わらない記事や仏教関係の記事が多い 例:仏教私伝
(6) 芸能…庶民芸能の発達
A.今様…当世風の歌曲の意、神楽歌・催馬楽・朗詠などの古風な歌謡に対していう ※小歌(室町時代)・閑吟集
(a) 七五調の4句からなる、仏の賛歌や神楽歌が合成、繁栄や平和といった人々の世俗的な願望の投影
(b) 流行
・平安時代中頃に流行 → 鎌倉時代に入って衰退、室町時代に廃絶
・庶民の芸能 → 貴族の間にも流行…例:「梁塵秘抄」(後白河法皇)
(c) 「梁塵秘抄」(10巻)…巻1の抄本と巻2(500首)のみ残存、後白河法皇編(後白河は今様の名手)
(d) 白拍子…平安末〜鎌倉初期に流行した歌舞、男装の女性が今様を歌いながら舞う
B.催馬楽…10世紀頃始まった古代の歌謡、貴族が愛好
C.田楽…田植えの際の音楽 → 都市で芸能化 → 鎌倉期に「能」に発展
D.猿楽…奈良時代に中国から伝来した散楽に由来、滑稽を主とした雑芸・歌謡 → 鎌倉期に「能」に発展
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