■弥生時代
■弥生時代■ 1.弥生文化 2.文献の中の倭


 ■1.弥生文化


1.弥生文化の成立
 (1) 弥生文化成立の背景
  A.中国大陸における強力な統一政権の登場(紀元前3世紀)
   (a) 秦(B.C.221〜B.C.202)…中国初の統一王朝
   (b) 漢(前漢)(B.C.202〜A.D.8)…版図の拡大
    ・紀元前108、漢の武帝は朝鮮半島北半部を征服、4郡(植民地)を置く
     4郡…楽浪郡(現在の平壌(ピョンヤン)付近)、真番郡、臨屯郡、玄菟郡
 (2) 弥生文化の成立  ←大陸からの新しい技術・物資・人間の流入
  A.水稲耕作の拡大
   (a) 水田農耕の開始(紀元前5〜4世紀=縄文時代晩期)
    ・夜臼式土器(縄文晩期の土器)と水田跡の共伴…例:板付遺跡(福岡県)・菜畑遺跡(佐賀県)
    ・さらに古い遺跡が発見される可能性大(岡山県の例)
     ※籾の圧痕のある土器やイネのプラントオパールは後期やそれ以前のものも発見済み
   (b) 前4世紀初めには西日本に水稲耕作を基礎とする弥生文化成立
   (c) 急速に西日本から東日本へ拡大(中期(前期末)には東北地方に達する、例:垂柳遺跡(青森県))
    ・北海道と南西諸島をのぞく(北海道、南西諸島では食料採集文化が継続)
      北 海 道…続縄文文化(紀元前後〜7世紀頃)、擦文文化(8世紀以降、9世紀との説あり)
      南西諸島…貝塚文化
  B.金属器の使用…鉄器、青銅器の使用開始(ほぼ同時)
   ※「青銅」…銅(4〜5)、錫(1)、鉛の合金
    ・銅+錫…黄金色(錫が増えると銀色が増す→白銅)、硬い、もろい、融点の低下(鋳造が容易)
   ※日本には純粋な「青銅器時代」は存在しない(石器時代→鉄器時代)
    ただし鉄器時代と呼ぶには異論あり
  C.大陸系磨製石器の登場
   (a) 伐採・加工用石斧…太型蛤刃石斧(伐採用)、加工用石斧(扁平片刃石斧(手斧用途)、柱状片刃石斧(鑿用途))
    ・大型建築物の建築可能となる → 高殿、楼閣建築の増加
   (b) 石包丁(石庖丁)…穂首刈り
  D.機織り技術
 日本人の成立過程
日本人の成立過程
 (3) 弥生土器
  A.名称の起源…1884(明治17)、東京の本郷弥生町(現文京区弥生2丁目)の向ヶ丘貝塚の出土土器が第1号
  B.弥生土器の特徴
   (a) 一般に薄手
   (b) 高温焼成(ただし、野焼き) →赤褐色系、硬質
   (c) 一般に文様は簡素(無文、幾何学的な文様など)
   (d) 機能的によって形態が異なる(様式の確立)
    ・…煮炊(煮沸)用、消耗品としての性格が強い
    ・…貯蔵用、精製品が多い、ヘラ書きの絵画
    ・高杯(高坏)…供献用(食物を盛る)
    ・(鉢…銘々器、存在しない地域・時代がある)
  C.弥生時代の年代観と弥生土器の時期区分
   (a) 弥生時代…前4世紀〜後3世紀
   (b) 弥生土器の時期区分…土器の様式からふつう3期に区分
    ・前期…前4世紀〜前2世紀  (前4世紀〜前2世紀) ←年輪年代測定法や土器編年研究の成果
    ・中期…前1世紀〜後1世紀  (前1世紀)
    ・後期…後2世紀〜後3世紀  (後1〜3世紀)
      ※弥生時代の開始を前10世紀頃に遡らせる説もあり


2.弥生時代の生活
 (1) 水稲耕作
  A.農具
   (a) 木製農具…鍬、鋤、えぶり、田下駄(湿田用)、大足(堆肥すき込み)、木臼・竪杵(脱穀用)
   (b) 石製農具…石包丁(穂首刈り) → 鉄鎌(後期)
   (c) 農具製造用の道具…(加工用)磨製石器 → 鉄製工具(斧、■(やりがんな)、刀子)の使用(後期)
  B.農作業の流れ
     耕作 ≫≫ 直播き(→田植え) ≫≫ 収穫 ≫≫ 脱穀 ≫≫ 貯蔵
      ↑                 ↑     ↑     ↑
     鋤・鍬             石包丁(鉄鎌) 木臼・竪杵 高床式倉庫
 収穫後の作業工程
収穫後の作業工程
  C.水田(一般的な流れ、当初から確立した技術が伝播したという説あり)
   (a) 小区画水田 → より大規模な水田(潅漑・排水設備完備)
   (b) 湿田 → 乾田
    ・湿田…地下水位が高く、常に冠水しており、排水施設が必要
    ・乾田…地下水位が低く、通常は冠水していない、潅漑設備が必要(現在の水田)
        冠水していないため、有機物の分解が早く、栄養分が多い
  D.稲の品種
   (a) ジャポニカ種(短粒種)
   (b) インディカ種(長粒種)、ほか
    ※赤米の存在  →赤米が栽培されなくなっても現代に赤飯として残る
  E.主要な水田跡遺跡
   (a) 登呂遺跡(静岡県)…後期の代表的遺跡、戦後の考古学は本遺跡からスタート
   (b) 板付遺跡(福岡県)…前期、縄文晩期の水田跡検出
   (c) 垂柳遺跡(青森県)…中期の水田跡が検出、稲作は中期には青森まで伝播
   (d) 百間川遺跡群(岡山県)…田植えの跡の検出
 (2) 住居・集落
  A.住居
   (a) 竪穴(式)住居、高床(式)倉庫、平地式建物(いずれも掘立柱)の増加
   (b) 楼閣建築、高殿などの大型建築の出現…クニの支配者の住居、儀式の空間
   (c) 物見やぐら ←戦争の存在
  B.集落
   (a) 縄文時代よりも大規模化
    ・拠点集落(環濠に囲まれるなどした大規模集落)の出現…クニの中心
    ・通常は20〜30戸か
   (b) 低地に営まれるようになる ←水稲耕作
   (c) 防御施設を備える集落の出現=戦争の存在
    ・環濠集落の出現
      例:吉野ヶ里遺跡(佐賀県)唐古・鍵遺跡(奈良県)、池上・曽根遺跡(大阪府)、
        大塚遺跡(神奈川県)、板付遺跡(福岡県)、原の辻遺跡(福岡県壱岐)
    ・高地性集落の出現…例:会下山遺跡(兵庫県)、紫雲出山遺跡(香川県)
 (3) 墓制 → 貧富の差の発生、身分差の出現を示す  ※縄文時代の墓制
  A.弥生時代の墓の特徴…さまざまな形態が混在(弥生時代らしさ)
   (a) 地域による墓制の差が大きい(地域限定の墓制)
    ・例:甕棺墓、支石墓…北部九州にほぼ限定
   (b) 社会階層を反映した墓
    ・例:有力者の墓…墳丘墓、方形周溝墓など
       庶民の墓…甕棺墓(副葬品をもたないもの)、土壙墓など
   (c) 日本独自の墓制と大陸由来の墓制
    ・例:甕棺墓…日本独自、 支石墓…大陸から伝わる
   (d) 伸展葬の普及(甕棺墓は除く)  cf.縄文時代は屈葬が一般的
  B.主な墓制
   (a) 甕棺墓(北部九州が多い、集団墓地、日本独自)、壺棺墓
   (b) 支石墓(北部九州に限定) ←朝鮮半島・中国東北部から伝わる
   (c) 土壙墓(全国的にみられる)
   (d) 木棺墓(全国的にみられる)
   (e) 箱式石棺墓(全国的にみられる) ←朝鮮半島・中国東北部から伝わる
   (f) 再葬墓(東日本)
   以下は、支配者層の個人墓とみられるもの
   (g) 方形(円形)周溝墓(大阪府瓜生堂遺跡など)
   (h) 墳丘墓
    ・楯築弥生墳丘墓(楯築遺跡、岡山県)…直径約40m、全長83m、最大
    ・吉野ヶ里遺跡墳丘墓(佐賀県)
    ・加美遺跡墳丘墓(大阪府)
   (i) 方形台状墓
   (j) 甕棺墓(内部に中国鏡や青銅製の武器を多数納めたもの)
 (4) 青銅製品
  A.「青銅」…銅(4〜5)、錫(1)、鉛の合金
   (a) 特徴
    ・銅…赤銅色、柔らかい
    ・銅+錫…黄金色(錫が増えると銀色が増す、「白銅」)、硬い、もろい、融点の低下(鋳造が容易)
   (b) 鉄との比較…鉄の方が武器としては圧倒的に優れる
    ・青銅はもろいので鎬(しのぎ)を入れる必要あり、鉄製品よりも重くなる(もともと青銅は比重が大きい)
    ・鉄は融点が高いので高度な製作技術を要する
  B.種類…銅鏡、銅鐸、銅剣、銅矛(鉾)、銅戈など
  C.青銅製祭器…朝鮮半島から伝来、神まつりに使用
   (a) 武器(実用品)から祭器(非実用品)への変化…大型化、扁平化  ←見栄えのよいように
   (b) 分布圏の存在…青銅製祭器を使った神まつりに地域的な差
 青銅器の実用品から祭器への変化
【実用品】   【祭 器】  
細形銅剣 平形銅剣 …瀬戸内海中部を中心に出土
細形銅矛 広形銅矛 …北部九州を中心に出土
細形銅戈 広形銅戈 …北部九州を中心に出土
朝鮮式小銅鐸 銅鐸 …近畿地方を中心に出土
  D.銅鐸
   (a) 実用品から祭器(非実用品)への変化
    ・朝鮮式小銅鐸・馬鐸(実用品、小型) →日本にはもともと牛馬はいない →大型化、銅鐸に発展
   (b) 「聞く銅鐸」 → 「見る銅鐸」(さらなる大型化)
   (c) 銅鐸の絵画…当時の身近な生き物や、建物、生活を描写
   (d) 銅鐸の埋納…集落内、山の斜面に埋められた、祭りの際に掘り出して使用?
   (e) 分布圏の存在
    ・近畿式銅鐸(鈕の部分に耳が付く)…近畿地方を中心に出土
    ・三遠式銅鐸(鈕の部分に耳がない)…東海地方を中心に出土
  E.銅鐸と銅剣と銅矛・銅戈の分布圏の存在=文化圏の存在、政治圏の存在
 (5) 主な遺跡
   (a) 板付遺跡(福岡県)…日本最大級の弥生遺跡、弥生前期の遺跡として重要、縄文晩期の水田検出
   (b) 菜畑遺跡(佐賀県)…縄文晩期の水田検出
   (c) 唐古・鍵遺跡(奈良県)…日本最大級の弥生遺跡、唐古池から大量の木製農具が出土
   (d) 吉野ヶ里遺跡(佐賀県)…大規模な面的発掘で当時の村の様子が判明、中心は弥生後期
   (e) 登呂遺跡(静岡県)…戦後の考古学史を飾るエポックメイキング的な遺跡、
               この遺跡と唐古遺跡の発掘で、弥生時代のイメージがほぼ確立
   (f) 荒神谷遺跡(島根県)…中細形銅剣358本、銅鐸6口、銅矛16本が出土
   (g) 垂柳遺跡(青森県)…弥生中期の水田跡が出土
   (h) 加茂岩倉遺跡(島根県)…銅鐸が39個出土
   (i) 立屋敷遺跡(福岡県)、須玖・岡本遺跡(福岡県)など
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 ■2.文献の中の倭


1.小国の成立
 (1) 戦争の発生
  A.戦争の存在
   (a) 環濠集落、高地性集落の出現など
   (b) 石鏃の大型化 ←紫雲出山遺跡の石鏃の研究
   (c) 石鏃などが刺さった、頭部のない人骨の出土、など
  B.戦争発生の理由…蓄積された余剰生産物をめぐる戦い
 (2) 小国の成立
  A.強い集落が弱い集落を支配 → 「クニ」と呼ばれる政治的まとまりの出現 →小国の成立
  B.小国の王=大量の副葬品をもつ甕棺や墳丘墓の被葬者か


2.中国の文献にみる弥生時代の倭(前1〜2世紀)
 (1) 「漢書」地理志前1世紀頃の倭(日本)の史料、世界史における「日本」の初見
  A.前1世紀、「倭人」の社会は100余国にわかれる
  B.楽浪郡に定期的に使者を派遣
   ※「漢書」地理志…後漢の班固が編集、前漢(B.C.202〜A.D.8)の正史、1世紀に編纂
   ※楽浪郡…現在の平壌(ピョンヤン)付近、前108、前漢の武帝が朝鮮においた4郡(植民地)
         4郡…楽浪・臨屯・真番・玄菟の各郡
 (2) 「後漢書」東夷伝1〜2世紀頃の倭(日本)の史料
  A.57(建武中元2)年、倭の奴国の王の使者が後漢の都洛陽に赴き、光武帝から印綬をうける
   ※印綬…印(はんこ)と綬(組み紐)
   ※金印…1784(天明4)年に福岡県志賀島で発見されたものに比定、現在は福岡市立博物館で展示
       「漢委奴国王」と刻む、「漢の委(わ)の奴の国王」と読む(「漢の委奴(いと)国の王」の読み方もあり)
       刻印の凹凸は反転…印を押す対象は粘土
  B.107(永初1)年、倭の国王帥升(師升?)が生口160人を安帝に献上(おそらく洛陽まで赴いた)、謁見を願う
   ※生口…生きている人の意、捕虜または奴隷の意味に用いられることが多い、奴隷とする説が有力
  C.2世紀後半(桓帝・霊帝の時代)、倭国内は戦乱状態(「倭国大いに乱れ」) → 「倭国争乱」
   ※桓帝の在位期間(147〜167)、霊帝の在位期間(168〜189)
   ※「後漢書」東夷伝…後漢(25〜230)の正史
 (3) 中国に対する使者派遣の意義
  A.中国や朝鮮半島の先進的な文物の入手
  B.他の小国に対する倭国内での地位の向上…大国と関係をもつことで
【コラム】金印の発見────────────────────────────────
   ▼現在の印と比べて、何かおかしくないか?


3.邪馬台国
 (1) 大陸の動向(三国時代)
  ・後漢滅亡(220) → 三国時代(魏<220〜265>、呉<222〜280>、蜀<221〜263>)
 (2) 邪馬台国
  A.「魏志」倭人伝…3世紀の倭(日本)の史料
    ※「魏志」倭人伝…「三国志」の「魏志」東夷伝倭人の条の通称、晋の陳寿が編纂
  B.歴史的経過…「魏志倭人伝」による
    2世紀末…倭国大乱
     諸国、共同して邪馬台国(邪馬臺国)の女王卑弥呼をたてる → 混乱収拾
     邪馬台国を中心とした30ほどの小国連合成立
    239 大夫難升米らを帯方郡に派遣 → 魏の都洛陽に到着
     「親魏倭王」の称号、金印紫綬、鏡100枚を受ける…魏は呉への牽制のため日本との関係を重視か
      以後、たびたび朝貢
     ※帯方郡…後漢末期に楽浪郡の南半を割いて設置
    248 狗奴国との争い、卑弥呼死亡 → 男の王が立ったが国内混乱
      宗女壱与(臺与、13歳)が立つ → 混乱収拾
    266 倭の女王(壱与?)、洛陽((西)晋の都)に使者を派遣 ←「晋書」の記述
     ※魏は265年に滅亡
     ※以後、約150年間、世界史上に倭は登場しない
  C.卑弥呼
   (a) 巫女として呪術(=鬼道)的権威を背景にした司祭者的王
   (b) 実際の政治は弟が行う
  D.社会…社会システムを備え始めている=日本における国家の初現?
   (a) 邪馬台国を中心に約30の小国の連合体
    ・大人(貴族的存在)・下戸(一般人)の別…身分の存在
   (b) 一大率・大倭…ある程度の政治機構の存在
    ・一大率…伊都国(現在の福岡県前原町)に常設され、諸国を監察
   (c) 租税の存在
   (d) 刑罰の存在
   (e) 市の存在
  E.習俗
   (a) 黥面文身、貫頭衣
   (b) 卜骨
   (c) 家畜(牛、羊、馬)を飼っていない
   (d) 冢の築造(槨はない)…墳丘墓か(これを古墳とする意見あり、むしろ古墳と見るべき)
 (3) 邪馬台国(の所在地)論争…以前ほど重要な問題ではなくなった、畿内説でほぼ決まりか
  A.近畿(畿内)説、九州説に大別、500説以上
  B.所在地が論争になる主な理由
   (a)『魏志』倭人伝の記述は不正確(方位・距離)…距離、方角のどちらを重視するか?
    ・距離を重視…近畿(畿内)説
    ・方角を重視…九州説
      ※国の所在地で定説化したもの…対馬国(対馬)、一支国(壱岐)、末盧国(松浦<唐津>)、
                     伊都国(前原)、奴国(福岡)
   (b) 日本の統一、国家の成立を考える上で3世紀は重要な時代
    ・魏志倭人伝における倭の記録の最後は266年で途切れる →以後、約150年間文献に登場しない
    ・どちらの学説を採るかで日本の統一の時期が異なる(近畿説を方が早まる)
      近畿(畿内)説…3世紀の段階で近畿〜九州北部におよぶ広域の政治連合が成立 →大和政権に移行
      九州説…邪馬台国連合は九州北部を中心とする比較的小範囲に限定、以後に領域拡大
         (大和政権と邪馬台国連合別とは別の政権で、東方で形成されて九州の邪馬台国を統合したか、
         あるいは邪馬台国が東遷したか
          ※一大率の存在…一大率は伊都国(現在の前原町)に常設され、周辺のクニを監察
          ※統一とはいえ、南部九州・東北地方は含まれない、南部九州でさえ8世紀まで待たねばならない
  C.最近の邪馬台国論争…近畿(畿内)説が圧倒的に優勢
   (a) 弥生時代の実年代のシフト → 古墳時代の開始の実年代もシフト
    ・大阪府池上曽根遺跡の弥生中期の土器が紀元前52年伐採の木材と共伴 ←年輪年代測定法の成果
      前期…前3世紀〜前2世紀 → 前4世紀〜前2世紀
      中期…前1世紀〜後1世紀 → 前1世紀
      後期…後2世紀〜後3世紀 → 後1〜3世紀
       これに伴って、古墳時代の開始時期も1世紀弱早まる →邪馬台国を設定する時間的余裕がない
       ※さらに弥生時代の開始を古くみる(前10世紀)考え方あり
    ・畿内でも比較的早い時期の拠点集落が次々検出
    ・各地の土器(搬入されたものを含めて)の比較検討
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